・・・現にこの私は上部だけは温順らしく見えながら、けっして講義などに耳を傾ける性質ではありませんでした。始終怠けてのらくらしていました。その記憶をもって、真面目な今の生徒を見ると、どうしても大森君のように、彼らを攻撃する勇気が出て来ないのです。そ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・言行和らぎて温順なるは婦人の特色にして、一般に人の許す所なり。事に当りて男子なれば大に怒る可き場合をも、婦人は態度を慎しみ温言以て一場の笑に附し去ること多し。世間普通の例に男同士の争論喧嘩は珍らしからねど、其男子が婦人に対して争うことは稀な・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順なしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんな・・・ 宮本百合子 「昔の思い出」
・・・また月島の方のある工場ではやはり軍需品を嫌でも応でも温順しく作らせるべく全職工を強制的に国粋的色彩の御用団体にまとめ上げてしまった。トーキーに駆逐されて口が干上ると起ち上った映画従業員のスト等々数えきれない問題のすべては、戦争によって一時的・・・ 宮本百合子 「メーデーに備えろ」
・・・或は、他の多くの作者が何の抵抗をも示さず頭から現実の事大勢力に屈服しているに対して、人及び芸術家としての山本有三氏は一応矛盾をも指摘し、それに抗議せざるを得ない人間の真情をもとりあげ、而して後、一般の温順な市民がそうである通り根本的な妥協へ・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・しかもそれが、罪人の間に往々見受けるような、温順を装って権勢に媚びる態度ではない。 庄兵衛は不思議に思った。そして舟に乗ってからも、単に役目の表で見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かい注意をしていた。 その日は暮れ方か・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫