・・・市民たちも、摂政宮殿下が御安全でいらせられるということは早く一日中に拝聞して、まず御安神申し上げましたが、日光の田母沢の御用邸に御滞在中の 両陛下の御安否が分りません。それで二日の午前に、まず第一に陸軍から、大橋特務曹長操縦、林少尉同乗で、・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・、と思うのであるが、そのとしの一夏を、私は母や叔母や姉やら従姉やらその他なんだか多勢で、浅虫温泉の旅館で遊び暮した事があって、その時、一番下のおしゃれな兄が、東京からやって来て、しばらく私たちと一緒に滞在し、東京の文壇のありさまなど、ところ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・大隅君は、結婚式の日まで一週間、私の家に滞在する事になっているのだ。私は、大隅君に叱られても黙って笑っていた。大隅君は五年振りで東京へ来て、謂わば興奮をしているのだろう。このたびの結婚の事に就いては少しも言わず、ひたすら世界の大勢に就き演説・・・ 太宰治 「佳日」
・・・一週間も滞在して、いちまいも書けず、宿賃が一泊五円として、もうそろそろ五十円では支払いが心細くなっていますし、きょうあたり会計をしてもらって、もし足りなかったら家へ電報を打たなければなるまい、ばかな事になったものだと、つくづく自分のだらし無・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・という小説に、出来るだけ正確に書いて置いたつもりであるが、とにかく、その時はいろいろの都合で、故郷の生家に於ける滞在時間は、ほんの三、四時間ほどのものであったのである。その小説の末尾のほうにも私は、――もっともっと故郷を見たかった。あれも、・・・ 太宰治 「故郷」
・・・女中は、階下へ行って、しばらくして、また部屋にやって来て、「あの、永い御滞在でしたら、前に、いただいて置く事になって居りますけれど」「そうですか。いくら差し上げたら、いいのでしょう」「さあ、いくらでも」と口ごもっている。「五十円・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ 一九〇一年、スイス滞在五年の後にチューリヒの公民権を得てやっと公職に就く資格が出来た。同窓の友グロスマンの周旋で特許局の技師となって、そこに一九〇二年から一九〇九年まで勤めていた。彼のような抽象に長じた理論家が極めて卑近な発明の審査を・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 星野滞在中に一日小諸城趾を見物に行った。城の大手門を見込んでちょっとした坂を下って行くのであるが、こうした地形に拠った城は存外珍しいのではないかと思う。 藤村庵というのがあって、そこには藤村氏の筆跡が壁に掛け並べてあったり、藤・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・自分は病気療養のためしばらく滞在する積りだから、階下の七番と札のついた小さい室を借りていた。ちょっとした庭を控えて、庭と桑畑との境の船板塀には、宿の三毛が来てよく昼眠をする。風が吹けば塀外の柳が靡く。二階に客のない時は大広間の真中へ椅子を持・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・そうしてその人が永い滞在の後に、なつかしい想いを残してその下宿を去る日になって、主婦の方から差出した勘定書を見ると、毀れた洗面鉢の代価がちゃんとついていたという話がある。 またある留学生の仲間がベルリンのTという料理屋で食事をした時に、・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
出典:青空文庫