・・・ こうした映画を見るのは、自分でアランの島へ行って少なくも二三日ぐらい滞在したとほぼ同じような効果があるのではないかという気もした。 アランの島民たちと、現にこの映画を見ている都人士とで、人生というものの概念がどれくらいちがうであろ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ンへ著いたばかりであったが、旅行先から急電によって、兄の見舞いに来たので、ほんの一二枚の著替えしかもっていなかったところから、病気が長引くとみて、必要なものだけひと鞄東京の宅から送らせて、当分この町に滞在するつもりであったが、嫂も看護に行っ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ もっともモーパサンのは標題の示すごとく、逗留二十五日間の印象記という種類に属すべきもので、プレヴォーのは滞在ちゅうの女客にあてたなまめかしい男の文だから、双方とも無名氏の文字それ自身が興味の眼目である。自分の経験もやはりふとした場所で・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・ ソヴェト同盟における三年間の滞在は、実に自分に多くのものを教えた。階級的にどう生きるべきかということを自分に教えたのも、この三年間の見聞の結果だ。自分は本からの理窟でなく、日常の生活から、体でそれを学んだ。 ところで、この旅行記一・・・ 宮本百合子 「若者の言葉(『新しきシベリアを横切る』)」
・・・ロンドンの二ヵ月ちかい滞在が、わたしを回心しようのない折衷主義ぎらいにした。それは、偽善的である以外にありようのない本質のものであることを、わたしに見せた。「ワルシャワのメーデー」「スモーリヌイに翻る赤旗」そのほかは、かえって来てから一・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
・・・二人の子供を連れてイエニーも二ヵ月滞在したパリからケルンに向った。ここでカールは新ライン新聞に入社し、「賃労働と資本」を連載した。一八四八年十一月、カールほか二人の同志が組織していた「州民主主義協会」は、内閣が自分の防衛のために議会をベルリ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ やがて予定の伯林滞在の期限がすんで、ケーテ・シュミットは故郷のケーニヒスベルクへかえってきた。シャウフェルは、父親に、ケーテが完成するまで自分の画塾に止るようにすすめたが、それが実現しないうちに、シャウフェル自身がイタリーのフローレン・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
モスクワ滞在の最後の期間、私たちは或るホテルに暮していた。ホテルといっても、サボイのようなのではなく、お湯がほしくなると自分でヤカンを提げて下の台所まで出かけて行き、ボイラーから注いで来るような暮しぶりのホテルである。・・・ 宮本百合子 「坂」
・・・うもののない品物を買って、それを持って帰ろうとして、紳士がそんな物をぶら下げてお歩きにならなくても、こちらからお宿へ届けると云われ、頼んで置いて帰ってみると、品物が先へ届いていた事や、それからパリイに滞在していて、或る同族の若殿に案内せられ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ いつか Kambodscha の酋長がパリに滞在していた頃、それが連れて来ていた踊子を見て、繊く長い手足の、しなやかな運動に、人を迷わせるような、一種の趣のあるのを感じたことがある。その時急いで取った dessins が今も残っている・・・ 森鴎外 「花子」
出典:青空文庫