・・・口上が嬉しかったが、これから漫歩というのに、こぶ巻は困る。張出しの駄菓子に並んで、笊に柿が並べてある。これなら袂にも入ろう。「あり候」に挨拶の心得で、「おかみさん、この柿は……」 天井裏の蕃椒は真赤だが、薄暗い納戸から、いぼ尻まきの・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・…… 冷い石塔に手を載せたり、湿臭い塔婆を掴んだり、花筒の腐水に星の映るのを覗いたり、漫歩をして居たが、藪が近く、蚊が酷いから、座敷の蚊帳が懐しくなって、内へ入ろうと思ったので、戸を開けようとすると閉出されたことに気がついた。 それ・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 書中のおもむきは、過日絮談の折にお話したごとく某々氏等と瓢酒野蔬で春郊漫歩の半日を楽もうと好晴の日に出掛ける、貴居はすでに都外故その節お尋ねしてご誘引する、ご同行あるならかの物二三枚をお忘れないように、呵々、というまでであった。 ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・の観客は、この東京の電車や四つ辻におけると同じような態度で、フランスの都の裏町を漫歩しつつその町の屋根の下に起こりつつあるであろうところの尋常茶飯事を見物してあるくのである。これは決してつまらないことではない。かくする事によって観客はほんと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・自分の知った範囲内でも、人からは仙人のように思われる学者で思いがけない銀座の漫歩を楽しむ人が少なくないらしい。考えてみるとこのほうがあたりまえのような気がする。日常人事の交渉にくたびれ果てた人は、暇があったら、むしろ一刻でも人寰を離れて、ア・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・きのうの漫歩がからだにも精神にも予想以上にいい効果があったように思われたので、きょうもつづけて出かけてみる事にした。きのう汽車の窓から見ておいた浦和付近の森と丘との間を歩いてみようと思ったのである。きのう出る時にはほとんどなんのあてもなしで・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 翌日の夕方は空もよくはれ夕立のおそれも無さそうであるし、風も涼しくて漫歩には適当であったから、妻に五人の子供を連れさして銀座へ遊びにやった。末の二人はどんな好いところへ行くかと思われるように喜んで、そして自分等の好みで学校通いの洋服を・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・もう一人は悠然としてズボンのかくしに手を入れ空を仰いで長嘯漫歩しているふぜいである。空はまっさおに、ビルディングの壁面はあたたかい黄土色に輝いている。 こういう光景は十年前にはおそらく見られないものであったろう。この二人はやはり時代を代・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ しかしこういう漫歩的見物をしているだけでは所要の付け句はできない。付け句を構成するためにはそれ以前に考慮さるべき若干の制約が規定されている。第一は季題に関するもので、たとえば「秋」あるいは「雑」でなければならないとすれば、前記の逍遙中・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・わたくしは夕焼の雲を見たり、明月を賞したり、あるいはまた黙想に沈みながら漫歩するには、これほど好い道は他にない事を知った。それ以来下町へ用足しに出た帰りには、きまって深川の町はずれから砂町の新道路を歩くのである。 歩きながら或日ふと思出・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫