・・・…… ある霜柱の残っている午後、わたしは為替をとりに行った帰りにふと制作慾を感じ出した。それは金のはいったためにモデルを使うことの出来るのも原因になっていたのに違いなかった。しかしまだそのほかにも何か発作的に制作慾の高まり出したのも確か・・・ 芥川竜之介 「夢」
一 柳を植えた……その柳の一処繁った中に、清水の湧く井戸がある。……大通り四ツ角の郵便局で、東京から組んで寄越した若干金の為替を請取って、三ツ巻に包んで、ト先ず懐中に及ぶ。 春は過ぎても、初夏の日の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・言ってやった金が来たかと、急いで開いて見たが、為替も何もはいっていないので、文句は読む気にもならなかった。それをうッちゃるように投げ出して、床を出た。 楊枝をくわえて、下に行くと、家のおかみさんが流しもとで何か洗っていた手をやすめて、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 解せぬという顔だったが、やがて、あ、そうかと想い出して、「――いや、その積りはなかったんだが、はいってた筈の財布にうっかりはいっていなかったりはいっていても、雑誌社から来た為替だけだったりしてね、つい、立て替えさせてしまったんだね・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・い言葉で罵倒されているのを見て、こんなに悪評を蒙っているのでは、とても原稿かせぎは及びもつくまい、世間も相手にすまい、十円の金を貸してくれる出版屋もあるまい、恐らく食うに困っているのだろうと、三百円の為替を送って来てくれた。また、べつの親戚・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 前後一週間のうちにいくら儲けたか、いま記憶はないが、大阪に残して来たお千鶴のもとへ、お前がひそかに為替をくんで送金してやったことだけは、さすがのこいつもお千鶴のことは気になると見える、存外殊勝なもんだと、その時感心しただけに、今もおぼ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・彼は昼頃までそちこち歩き廻って帰って来たが、やはり為替が来てなかった。 で彼はお昼からまた、日のカン/\照りつける中を、出て行った。顔から胸から汗がぽた/\流れ落ちた。クラ/\と今にも打倒れそうな疲れた頼りない気持であった。歯のすり減っ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
一 それはある日の事だった。―― 待っていた為替が家から届いたので、それを金に替えかたがた本郷へ出ることにした。 雪の降ったあとで郊外に住んでいる自分にはその雪解けが億劫なのであったが、金は待ってい・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・郷里の山地のほうにいる太郎あてに送金するには、その支店から為替を組んでもらうのが、いちばん簡単でもあり、便利でもあったからで。日本橋の通りにあるバラック風な建物の中でも、また私たちはしばらく時を送った。その建物の前にある石の階段をおりたとこ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・そうしてこれは実に苦笑ものであるが、私は井伏さんの作品から、その生活のあまりお楽でないように拝察せられたので、まことに少額の為替など封入した。そうして井伏さんから、れいの律儀な文面の御返事をいただき、有頂天になり、東京の大学へはいるとすぐに・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫