・・・うに灯影が映る時、八十年にも近かろう、皺びた翁の、彫刻また絵画の面より、頬のやや円いのが、萎々とした禰宜いでたちで、蚊脛を絞り、鹿革の古ぼけた大きな燧打袋を腰に提げ、燈心を一束、片手に油差を持添え、揉烏帽子を頂いた、耳、ぼんの窪のはずれに、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 脊丈のほども惟わるる、あの百日紅の樹の枝に、真黒な立烏帽子、鈍色に黄を交えた練衣に、水色のさしぬきした神官の姿一体。社殿の雪洞も早や影の届かぬ、暗夜の中に顕れたのが、やや屈みなりに腰を捻って、その百日紅の梢を覗いた、霧に朦朧と火が映っ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 湖を遥に、一廓、彩色した竜の鱗のごとき、湯宿々々の、壁、柱、甍を中に隔てて、いまは鉄鎚の音、謡の声も聞えないが、出崎の洲の端に、ぽッつりと、烏帽子の転がった形になって、あの船も、船大工も見える。木納屋の苫屋は、さながらその素袍の袖・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ これを聞いて、活ける女神が、なぜみずからのその手にて、などというものは、烏帽子折を思わるるがいい。早い処は、さようなお方は、恋人に羽織をきせられなかろう。袴腰も、御自分で当て、帽子も、御自分で取っておかぶりなさい。 ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ それだのに、十歩……いや、もっと十間ばかり隔たった処に、銑吉が立停まったのは、花の莟を、蓑毛に被いだ、舞の烏帽子のように翳して、葉の裏すく水の影に、白鷺が一羽、婀娜に、すっきりと羽を休めていたからである。 ここに一筋の小川が流れる・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・……そういえば、余りと言えば見馴れない風俗だから、見た目をさえ疑うけれども、肥大漢は、はじめから、裸体になってまで、烏帽子のようなものをチョンと頭にのせていた。「奇人だ。」「いや、……崖下のあの谷には、魔窟があると言う。……その・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・……袴、練衣、烏帽子、狩衣、白拍子の姿が可かろう。衆人めぐり見る中へ、その姿をあの島の柳の上へ高く顕し、大空へ向って拝をされい。祭文にも歌にも及ばぬ。天竜、雲を遣り、雷を放ち、雨を漲らすは、明午を過ぎて申の上刻に分豪も相違ない。国境の山、赤・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・唯台所で音のする、煎豆の香に小鼻を怒らせ、牡丹の有平糖を狙う事、毒のある胡蝶に似たりで、立姿の官女が捧げた長柄を抜いては叱られる、お囃子の侍烏帽子をコツンと突いて、また叱られる。 ここに、小さな唐草蒔絵の車があった。おなじ蒔絵の台を離し・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ 御厨子の前は、縦に二十間がほど、五壇に組んで、紅の袴、白衣の官女、烏帽子、素袍の五人囃子のないばかり、きらびやかなる調度を、黒棚よりして、膳部、轅の車まで、金高蒔絵、青貝を鏤めて隙間なく並べた雛壇に較べて可い。ただ緋毛氈のかわりに、敷・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・御輿舁ぎは奥の院十八軒の若い衆が水干烏帽子だ。――南無大師、遍照金剛ッ! 道の左右は人間の黒山だ。お捻の雨が降る。……村の嫁女は振袖で拝みに出る。独鈷の湯からは婆様が裸体で飛出す――あははは、やれさてこれが反対なら、弘法様は嬉しかんべい。・・・ 泉鏡花 「山吹」
出典:青空文庫