・・・浅黄の股引を穿いて、浅黄の袖無しを着ている。足袋だけが黄色い。何だか皮で作った足袋のように見えた。 爺さんが真直に柳の下まで来た。柳の下に子供が三四人いた。爺さんは笑いながら腰から浅黄の手拭を出した。それを肝心綯のように細長く綯った。そ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・婦人若し智無して是を信じては必ず恨出来易し。元来夫の家は皆他人なれば、恨背き恩愛を捨る事易し。構て下女の詞を信じて大切なるしゅうとしゅうとめ姨の親を薄すべからず。若し下女勝て多言くて悪敷者なれば早く追出すべし。箇様の者は必ず親類の中をも言妨・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・るもの幾冊の多きに及べる程にて、其腹稿は既に幾十年の昔に成りたれども、当時の社会を見れば世間一般の気風兎角落付かず、恰も物に狂する如くにして、真面目に女学論など唱うるも耳を傾けて静に之を聞くもの有りや無しや甚だ覚束なき有様なるにぞ、只これを・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・室内寂として声無し。窓の外に死のヴァイオリンを弾じつつ過ぎ行くを見る。その跡に跟きて主人の母行き、娘行き、それに引添いて主人に似たる影行 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・石塔は無しにしてくれとかねがね遺言して置いたが、石塔が無くては体裁が悪いなんていうので大きなやつか何かを据えられては実に堪まるものじゃ無い。 土葬はいかにも窮屈であるが、それでは火葬はどうかというと火葬は面白くない。火葬にも種類があるが・・・ 正岡子規 「死後」
・・・それから、はさみ無しの一人まけかちでじゃんけんをしました。 ところが悦治はひとりはさみを出したので、みんなにうんとはやされたほかに鬼になりました。悦治は、くちびるを紫いろにして河原を走って、喜作を押えたので鬼は二人になりました。それから・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・それから、はさみ無しの一人まけかちで、じゃんけんをした。ところが、悦治はひとりはさみを出したので、みんなにうんとはやされたほかに鬼になった。悦治は、唇を紫いろにして、河原を走って、喜作を押えたもんだから、鬼は二人になった。それからぼくらは、・・・ 宮沢賢治 「さいかち淵」
・・・ 健康で居て暇無しに仕事をして行けるのが何より幸福だと、仕事をしたくて出来ない今つくづく思う。 わかりきった事の様だけれ共、ほんとうに心からつくづくと思うのは自分がそれをする事の出来ない様な境遇になってからである。「抜毛」のない・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・ 着物だの飾り物に、ひどい愛着を持って居るお君は、見も知らない人々が、隅から隅まで隆とした装で居るのを見るとたまらなくうらやましくなって、例えそれが、正銘まがい無しの物でも、自分の手の届くところまで、引き下げたものにして考えて居なければ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・他無し、未だ依るべき新たなる形式を得ざるゆえである。これが抒情詩である。 わたくしは叙実の文を作る。新聞紙のために古人の伝記を草するのも人の請うがままに碑文を作るのも、ここに属する。何故に現在の思量が伝記をしてジェネアロジックの方向を取・・・ 森鴎外 「なかじきり」
出典:青空文庫