・・・洋一はその看護婦にも、はっきり異性を感じながら、妙に無愛想な会釈を返した。それから蒲団の裾をまわって、母の顔がよく見える方へ坐った。 お律は眼をつぶっていた。生来薄手に出来た顔が一層今日は窶れたようだった。が、洋一の差し覗いた顔へそっと・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・だから無愛想なウェエタアが琥珀のような酒の杯を、彼の前へ置いて行った後でも、それにはちょいと唇を触れたばかりで、すぐにM・C・Cへ火をつけた。煙草の煙は小さな青い輪を重ねて、明い電燈の光の中へ、悠々とのぼって行く。本間さんはテエブルの下に長・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・それから無愛想にA中尉の顔を見、冷かすように話しかけた。「善根を積んだと云う気がするだろう?」「ふん、多少しないこともない。」 A中尉は軽がると受け流したまま、円窓の外を眺めていた。円窓の外に見えるのは雨あしの長い海ばかりだった・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・これは、こっちも退屈している際だから、話しかけたいのは山々だが、相手の男の人相が、甚だ、無愛想に見えたので、暫く躊躇していたのである。 すると、角顋の先生は、足をうんと踏みのばしながら、生あくびを噛みつぶすような声で、「ああ、退屈だ。」・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・疑えば疑われる事もまるきりないじゃなかったが、あのモズモズした無愛想な男、シカモ女に縁のなさそうな薄汚ない面をした男が沼南夫人の若い燕になろうとは夢にも思わなかったから、夫人の芳ばしくない噂を薄々小耳に入れてもYなぞはテンから問題としなかっ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・カンテラが、無愛想に渋り切った井村の顔に暗い陰影を投げた。彼女は、ギクッとした。しかしかまわずに、「たいへんなやつがあると自分で睨んだから、掘って来たんだって、どうして云ってやらなかったの。」 なじるような声だった。「やかましい・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・そうするとこれを聞いたこなたの汚い衣服の少年は、その眼鼻立の悪く無い割には無愛想で薄淋しい顔に、いささか冷笑うような笑を現わした。唱の主はこんな事を知ろうようは無いから、すぐと続いて、誰に負われて摘んで取ろ。と唄い終・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・母親と妹の三人暮しで、一家そろって無愛想であった。技師は、服装に無頓着な男で、いつも青い菜葉服を着ていて、しかもよい市民であったようである。母親は白い頭髪を短く角刈にして、気品があった。妹は二十歳前後の小柄な痩せた女で、矢絣模様の銘仙を好ん・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・そうして、これに対するこの日本人は、たとえばまず弟子に対する教師ぐらいな、あるいは事によるともう少しいばった態度で、笑顔一つ見せずにむしろ無愛想にあしらっている、というふうにともかくもその時の自分には見えたのである。それがなんとなくその時の・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・むしろ双方で無愛想に頭を下げたのだったろうが、自分の事は分らないから、相手の容子だけに驚くのである。文学者だから御世辞を使うとすると、ほかの諸君にすまないけれども、実を云えば長谷川君と余の挨拶が、ああ単簡至極に片づこうとは思わなかった。これ・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
出典:青空文庫