・・・しかし博士は巻煙草を捨てると、無造作にその言葉を遮った。「それがいかんですな。熱はずんずん下りながら、脈搏は反ってふえて来る。――と云うのがこの病の癖なんですから。」「なるほど、そう云うものですかな。こりゃ我々若いものも、伺って置い・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・しかし私がその努力にやっと成功しそうになると、彼は必ず音を立てて紅茶を啜ったり、巻煙草の灰を無造作に卓子の上へ落したり、あるいはまた自分の洒落を声高に笑ったり、何かしら不快な事をしでかして、再び私の反感を呼び起してしまうのです。ですから彼が・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・するとこの作家は笑いながら、無造作に僕にこう言うのだった。――「世界一ならば何でも好「『虞美人草』は?」「あれは僕の日本語じゃ駄目だ。……きょうは飯ぐらいはつき合えるかね?」「うん、僕もそのつもりで来たんだ。」「じゃちょっと・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・風呂場の手桶には山百合が二本、無造作にただ抛りこんであった。何だかその匂や褐色の花粉がべたべた皮膚にくっつきそうな気がした。 多加志はたった一晩のうちに、すっかり眼が窪んでいた。今朝妻が抱き起そうとすると、頭を仰向けに垂らしたまま、白い・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・ 譚は大声に笑った後、ちょっと真面目になったと思うと、無造作に話頭を一転した。「じゃそろそろ出かけようか? 車ももうあすこに待たせてあるんだ。」 * * * * * 僕は翌々十八日の午後、折角の譚の勧めに従い、湘・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ とこの八畳で応じたのは三十ばかりの品のいい男で、紺の勝った糸織の大名縞の袷に、浴衣を襲ねたは、今しがた湯から上ったので、それなりではちと薄ら寒し、着換えるも面倒なりで、乱箱に畳んであった着物を無造作に引摺出して、上着だけ引剥いで着込ん・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・ そりゃ境遇が違えば、したがって心持ちも違うのが当然じゃと、無造作に解決しておけばそれまでであるけれど、僕らはそれをいま少し深く考えてみたいのだ。いちじるしき境遇の相違は、とうていくまなくあい解することはできないにしても、なるべくは解し・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・雨の降るのにしかも大水の中を牽くのであるから、無造作には人を得られない。某氏の尽力によりようやく午後の三時頃に至って人を頼み得た。 なるべく水の浅い道筋を選ばねばならぬ。それで自分は、天神川の附近から高架線の上を本所停車場に出て、横川に・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・しかし診察は無造作であった。聴診器を三、四か所胸にあてがってみた後、瞳を見、眼瞼を見、それから形ばかりに人工呼吸を試み注射をした。肛門を見て、死後三十分くらいを経過しているという。この一語は診察の終わりであった。多くの姉妹らはいまさらのごと・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・僕は初め無造作に民さんと呼んだけれど、跡は無造作に詞が継がない。おかしく喉がつまって声が出ない。民子は茄子を一つ手に持ちながら体を起して、「政夫さん、なに……」「何でもないけど民さんは近頃へんだからさ。僕なんかすっかり嫌いになったよ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
出典:青空文庫