・・・が、然し乍ら今日では不利益なる職業と見らるゝだけであるが、二十五六年前には無頼者の仕事と目されていた。最も善意に解釈して呉れる人さえが打つ飲む買うの三道楽と同列に見て、我々文学に親む青年は、『文学も好いが先ず一本立ちに飯が喰えるようになって・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・是れ併し乍ら政府が無鉄砲なのでも属僚が没分暁なのでも何でもなくして、社会が文人の権威を認めないからである。坪内君が世間から尊敬せらるゝのは早稲田大学の元老、文学博士であるからで、舞踊劇の作者たり文芸協会の会長たるは何等の重きをなしていないか・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・彼等の受納ざる所である、斯して彼等は―是等の現代人等は―浅く民の傷を癒して平康なき所に平康平康と言うのである、彼等は自ら神の寵児なりと信じ、来世の裁判の如きは決して彼等に臨まざることと信ずるのである、然し乍ら基督者とは素々是等現代人の如き者・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ 大学の教授たちが自分の専門に没頭して、只だそれを伝えると云うような事以外に、小学校の先生には更に教うる生徒に対して深い愛情がなければならぬ。 然し乍ら私は現在の小学校の先生方が皆かくの如き人格者のみであるとは思わない。丁度医者が昔・・・ 小川未明 「人間性の深奥に立って」
・・・ 併し乍ら、元来文章の形は自ら其の人の詩想に依って異なるので、ツルゲーネフにはツルゲーネフの文体があり、トルストイにはトルストイの文体がある。其の他凡そ一家をなせる者には各独特の文体がある。この事は日本でも支那でも同じことで、文体は其の・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・こんな物凄い光景を想像して見ると何かの小説にあるような感じがして稍興に乗って来るような次第である。併し乍ら火がだんだんまわって来て棺は次第に焼けて来る。手や足や頭などに火が附いてボロボロと焼けて来るというと、痛い事も痛いであろうが脇から見て・・・ 正岡子規 「死後」
出典:青空文庫