・・・それは、実感を詩に歌うまでには、ずいぶん煩瑣な手続を要したということである。たとえば、ちょっとした空地に高さ一丈ぐらいの木が立っていて、それに日があたっているのを見てある感じを得たとすれば、空地を広野にし、木を大木にし、日を朝日か夕日にし、・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・十日一水を画き五日一石を画くというような煩瑣な労作は椿岳は屑しとしなかったらしい。が、椿岳の画は書放しのように見えていても実は決して書放しではなかった。椿岳は一つの画を作るためには何枚も何枚も下画を描いたので、死後の筐底に残った無数の下画や・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「やたらに煩瑣で、そうして定理ばかり氾濫して、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物に堕してしまった。このとき、数学の自由性を叫んで敢然立ったのは、いまのその、おじいさんの博士であります。えらいやつなんだ。もし探偵にでもなっ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・いやらしい、煩瑣な堂々めぐりの、根も葉もない思案の洪水から、きれいに別れて、ただ眠りたい眠りたいと渇望している状態は、じつに清潔で、単純で、思うさえ爽快を覚えるのだ。私など、これはいちど、軍隊生活でもして、さんざ鍛われたら、少しは、はっきり・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・が身の被告、審判の庭、霏々たる雪におおわれ純白の鶴の雛一羽、やはり寒かろ、首筋ちぢめて童子の如く、甘えた語調、つぶらに澄める瞳、神をも恐れず、一点いつわらぬ陳述の心ゆえに、一字一字、目なれず綴りにくき煩瑣いとわず、かくは用いしものと知りたま・・・ 太宰治 「創生記」
・・・やはり、いままでの思想体系の説明と同じように、煩瑣をいとわず逐条説明とするか。それでは、せっかくのゲシュタルトも、なんにもなるまい。案外、こんなところに全体主義の困惑があるのではないか。 さあ、なんと言っていいか。わからないかねえ。あれ・・・ 太宰治 「多頭蛇哲学」
・・・昔の小学校の先生などとちがってあまりに立派な教育者としての素養があり過ぎるために、またその上に文部省の監督があまりに行き届き過ぎるために教場における授業が窮屈で煩瑣な鋳型にはいってしまって、その結果は自由に広大であるべきものを極端に制限して・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・それで一見いわゆるはなはだしく末梢的な知識の煩瑣な解説でも、その書き方とまたそれを読む人の読み方によっては、その末梢的問題を包含する科学の大部門の概観が読者の眼界の地平線上におぼろげにでもわき上がることは可能でありまたしばしば実現する事実で・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・これに賛せざる諸君よ、諸君は尚かの中世の煩瑣哲学の残骸を以てこの明るく楽しく流動止まざる一千九百二十年代の人心に臨まんとするのであるか。今日宗教の最大要件は簡潔である。吾人の哲学はこの二語を以て既に千六百万人の世界各地に散在する信徒を得た。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 雑誌『行動』も発刊され、「行動主義」文学の提唱者は、「不安の文学」という合言葉の代りに、生活と文学とにおける「能動精神」の主張を以て現れたのである。 煩瑣、無気力であった文学の袋小路は、やっと広く活々とした大路へ通じる一つの門を見・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫