・・・ 求馬は甚太夫喜三郎の二人と共に、父平太郎の初七日をすますと、もう暖国の桜は散り過ぎた熊本の城下を後にした。 一 津崎左近は助太刀の請を却けられると、二三日家に閉じこもっていた。兼ねて求馬と取換した起請文の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・肥後国熊本の城主、細川越中守宗教を殺害した。その顛末は、こうである。 ――――――――――――――――――――――――― 細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。元姫君と云われた宗教の内室さえ、・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・った、背のずんぐりと高いのが、絣の綿入羽織を長く着て、霜降のめりやすを太く着込んだ巌丈な腕を、客商売とて袖口へ引込めた、その手に一条の竹の鞭を取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後は尾ノ道、肥後は熊本の刻煙草を指示す……「内務省は煙・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・『その次は今から五年ばかり以前、正月元旦を父母の膝下で祝ってすぐ九州旅行に出かけて、熊本から大分へと九州を横断した時のことであった。『僕は朝早く弟と共に草鞋脚絆で元気よく熊本を出発った。その日はまだ日が高いうちに立野という宿場まで歩・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
徳富猪一郎君は肥後熊本の人なり。さきに政党の諸道に勃興するや、君、東都にありて、名士の間を往来す。一日余の廬を過ぎ、大いに時事を論じ、痛歎して去る。当時余ひそかに君の気象を喜ぶ。しかるにいまだその文筆あるを覚らざるなり。・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・いやしくも熊本君ともあろうものが、こんな優しい返事をするとは思わなかった。青本女之助とでも改名すべきだと思った。「佐伯だあ。あがってもいいかあ。」少年佐伯のほうが、よっぽど熊本らしい粗暴な大声で、叫ぶのである。「どうぞ。」 実に・・・ 太宰治 「乞食学生」
熊本高等学校で夏目先生の同僚にSという○物学の先生がいた。理学士ではなかったがしかし非常に篤学な人で、その専門の方ではとにかく日本有数の権威者だという評判であった。真偽は知らないが色々な奇行も伝えられた。日本にたった二つと・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・今から三十余年の昔自分の高等学校学生時代に熊本から帰省の途次門司の宿屋である友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。どんな事を論じたかは覚えていない。ところがこの二三年前、偶然な機会から・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・その後故郷を離れて熊本に住み、東京に移り、また二年半も欧米の地を遍歴したときでも、この中学時代の海水浴の折に感じたような郷愁を感じたことはなかったようである。一つにはまだ年が行かない一人子の初旅であったせいもあろうが、また一つには、わが家が・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・自分の五歳の頃から五年ほどの間熊本鎮台に赴任したきり一度も帰らなかった父の留守の淋しさ、おそらくその当時は自覚しなかった淋しさが、不思議にもこの燈下の寒竹の記憶と共に、はっきりした意識となって甦って来るのである。 虎杖もなつかしいものの・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
出典:青空文庫