・・・もし岩殿の神の代りに、天魔があの祠にいるとすれば、少将は都へ帰る途中、船から落ちるか、熱病になるか、とにかくに死んだのに相違ない。これが少将もあの女も、同時に破滅させる唯一の途じゃ。が、岩殿は人間のように、諸善ばかりも行わねば、諸悪ばかりも・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・川島は小学校も終らないうちに、熱病のために死んでしまった。が、万一死なずにいた上、幸いにも教育を受けなかったとすれば、少くとも今は年少気鋭の市会議員か何かになっていたはずである。……「開戦!」 この時こう云う声を挙げたのは表門の前に・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 自動車のいる所に来ると、お前たちの中熱病の予後にある一人は、足の立たない為めに下女に背負われて、――一人はよちよちと歩いて、――一番末の子は母上を苦しめ過ぎるだろうという祖父母たちの心遣いから連れて来られなかった――母上を見送りに出て・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・そして熱病病みのように光る目をして、あたりを見廻した。「やれやれ。恐ろしい事だった。」「早く電流を。」丸で調子の変った声で医者はこう云って、慌ただしく横の方へ飛び退いた。「そんなはずはないじゃないか。」「電流。電流。早く電流を。・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 恋愛を一種の熱病と見て、解熱剤を用意して臨むことを教え、もしくは造化の神のいたずらと見てユーモラスに取り扱うという態度も、私の素質には不釣り合いのことであろう。 かようにして浪曼的理想主義者としての私の、恋愛運命論を腹の底に持って・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・二人は、熱病のように頭がふらふらした。何もかも取りはずして、雪の上に倒れて休みたかった。 山は頂上で、次の山に連っていた。そしてそれから、また次の山が、丁度、珠数のように遠くへ続いていた。 遠く彼方の地平線まで白い雪ばかりだ。スメタ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ と、こんなことを、まるで熱病患者のように発作的に声に出して呟いていた。 彼はロシアの娘が自分をアメリカの兵卒と同じ階級としか考えず、同じようにしか持てなさないのが不満で仕様がなかった。同様にしか持てなさないのは、彼にとっては、階級・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・一時に氷が増してよく冷えると見えて、少し心が落付いたが、次第に昇る熱のために、纏まった意識の力は弱くなり、それにつれて恐ろしい熱病の幻像はもう眼の前に押寄せて来る。いつの間にか自分と云うものが二人に別れる。二人ではあるがどちらも自分である。・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
何事でも「世界第一」という名前の好きなアメリカに、レコード熱の盛んなのは当然のことであるが、一九二九年はこのレコード熱がもっとも猖獗をきわめた年であって、その熱病が欧州にまでも蔓延した。この結果としてこの一年間にいろいろの・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・子供の時分によく熱病をわずらって、その度に函館産の氷で頭を冷やしたことであったが、あの時のあの氷が、ここのこの泥水の壕の中から切り出されて、そうして何百里の海を越えて遠く南海の浜まで送られたものであったのかと思うと、この方が中学校の歴史で教・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
出典:青空文庫