・・・ソウシテ私ヲオ父様ノ所ヘ返サナイト『アグニ』ノ神ガオ婆サンノ命ヲトルト言ッテヤリマス。オ婆サンハ何ヨリモ『アグニ』ノ神ガ怖イノデスカラ、ソレヲ聞ケバキット私ヲ返スダロウト思イマス。ドウカ明日ノ朝モウ一度、オ婆サンノ所ヘ来テ下サイ。コノ計略ノ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・「お父様、お母様、どうか勘忍して下さいまし。」 おぎんはやっと口を開いた。「わたしはおん教を捨てました。その訣はふと向うに見える、天蓋のような松の梢に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・主人 まあ、あなたなどは御年若なのですから、一先御父様の御国へお帰りなさい。いくらあなたが騒いで見たところが、とても黒ん坊の王様にはかないはしません。とかく人間と云う者は、何でも身のほどを忘れないように慎み深くするのが上分別です。一・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・……また、こりゃお亡くなんなすった父様に代って、一説法せにゃならん。例の晩酌の時と言うとはじまって、貴下が殊の外弱らせられたね。あれを一つ遣りやしょう。」 と片手で小膝をポンと敲き、「飲みながらが可い、召飯りながら聴聞をなさい。これ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・が、太宰治氏に教えられたことだが、志賀直哉氏の兎を書いた近作には「お父様は兎をお殺しなされないでしょう」というような会話があるそうである。上品さもここまで来れば私たちの想像外で、「殺す」という動詞に敬語がつけられるのを私はうかつに今日まで知・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ 折からこれも手拭を提げて、ゆるゆる二階を下り来るは、先ほど見たる布袋のその人、登りかけたる乙女は振り仰ぎて、おや父様、またお入浴りなさるの。幕なしねえ。と罪なげに笑う。笑顔の匂いは言わん方なし。 親子、国色、東京のもの、と辰弥は胸・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ この度は貞夫に結構なる御品御贈り下されありがたく存じ候、お約束の写真ようよう昨日でき上がり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田の姉に御届け下されたく候、ご覧のごとくますます肥え太りてもはや祖父様のお手には荷が少々勝ち過ぎるように相・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・いろいろ療治をした後、根岸に二十八宿の灸とか何とかいって灸をする人があって、それが非常に眼に利くというので御父様に連れられて往った。妙なところへおろす灸で、而もその据えるところが往くたびに違うので馬鹿に熱い灸でした。往くたび毎に車に乗っても・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・傍に居た娘が口を添えて、大層お気に入ったご様子ですが、お気に召しましたのは其盃の仕合せというものでございます、宜しゅうございますからお持帰下さいまし、失礼でございますけれど差上げとうございます、ねえお父様、進上げたっていいでしょう、と取りな・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・芸者衆がたくさん私の家に来て居りまして、ひとりのお綺麗な半玉さんに紋附の綻びを縫って貰ったりしましたのを覚えて居りますし、父様が離座敷の真暗な廊下で脊のお高い芸者衆とお相撲をお取りになっていらっしゃったのもあの晩のことでございました。父様は・・・ 太宰治 「葉」
出典:青空文庫