・・・ いつか彼女の心の中には、狂暴な野性が動いていた。それは彼女が身を売るまでに、邪慳な継母との争いから、荒むままに任せた野性だった。白粉が地肌を隠したように、この数年間の生活が押し隠していた野性だった。………「牧野め。鬼め。二度の日の・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・彼れは思わずその足の力をぬこうとしたが、同時に狂暴な衝動に駈られて、満身の重みをそれに托した。「痛い」 それが聞きたかったのだ。彼れの肉体は一度に油をそそぎかけられて、そそり立つ血のきおいに眼がくるめいた。彼れはいきなり女に飛びかか・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・こうした悲情な物理力に対して、また狂暴なる野蛮力に対して、互に戦うことに於て、いかなる正義が得られ、いかなる真理の裁断が下され得るかということであります。 正義のために殉じ、真理のために、一身を捧ぐることは、もとより、人類の向上にとって・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
・・・博奕打ちに負けたと思うと、血が狂暴に燃えた。妓が「疳つりの半」に誘惑された気持に突き当ると、表情が蒼凄んだ。不良少年と喧嘩する日が多くなった。そして、博奕打ちに特有の商人コートに草履ばきという服装の男を見ると、いきなりドンと突き当り、相手が・・・ 織田作之助 「雨」
・・・しかし、このまま手ぶらで帰れば、咽から手の出るほどスキ焼きを待ちこがれている隊長の手が、狂暴に動き出して、半殺しの目に会わされるだろうことは地球が、まるい事実よりも明らかである。 そう思うと、二人の足は自然渋って来た。「撲られに帰る・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・このまま静脈に刺してやろうかと、寺田は静脈へ空気を入れると命がないと言った看護婦の言葉を想い出し、狂暴に燃える眼で一代の腕を見た。が、一代の腕は皮膚がカサカサに乾いて黝く垢がたまり、悲しいまでに細かった。この腕であの競馬の男の首を背中を腰を・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・醜くはれ上った顔は何か狂暴めいていた。 私はそんな横堀の様子にふっと胸が温まったが、じっと見つめているうちに、ふと気がつけば私の眼はもうギラギラ残酷めいていた。横堀の浮浪生活を一篇の小説にまとめ上げようとする作家意識が頭をもたげていたの・・・ 織田作之助 「世相」
・・・娘の商売が判ってしまうと、かえって狂暴な男の血が一度に引いてしまったためか。それとも一種のすねた抗議の姿態だろうか。 娘は暫くだまって肩で息をしていたが、いきなり小沢の背中に顔をくっつけて、泣き出した。「何を泣いてるんだ……?」・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・自分で言いながら、ぞっとした程狂暴な、味気ない言葉であった。毒を以て毒を制するのだ。かまう事は無い、と胸の奥でこっそり自己弁解した。「嫉妬さ。妬けているんだよ、君は。」少年は下唇をちろと舐めて口早に応じた。「老いぼれのぼんくらは、若い才・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・こちらが何もせぬのに、突然わんといって噛みつくとはなんという無礼、狂暴の仕草であろう。いかに畜生といえども許しがたい。畜生ふびんのゆえをもって、人はこれを甘やかしているからいけないのだ。容赦なく酷刑に処すべきである。昨秋、友人の遭難を聞いて・・・ 太宰治 「畜犬談」
出典:青空文庫