・・・ 武蔵野ではまだ百舌鳥がなき、鵯がなき、畑の玉蜀黍の穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている白樺の霜柱の草の中にたたずんだのが、静かというよりは寂しい感じを・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ 玉蜀黍穀といたどりで周囲を囲って、麦稈を積み乗せただけの狭い掘立小屋の中には、床も置かないで、ならべた板の上に蓆を敷き、どの家にも、まさかりかぼちゃが大鍋に煮られて、それが三度三度の糧になっているような生活が、開墾当時のまま続けられて・・・ 有島武郎 「親子」
・・・赤坊の泣くのに困じ果てて妻はぽつりと淋しそうに玉蜀黍殻の雪囲いの影に立っていた。 足場が悪いから気を付けろといいながら彼の男は先きに立って国道から畦道に這入って行った。 大濤のようなうねりを見せた収穫後の畑地は、広く遠く荒涼として拡・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 八幡の町の梨畠に梨は取り尽され、葡萄棚からは明るく日がさすようになった。玉蜀黍の茎は倒れて見通す稲田の眺望は軟かに黄ばんで来た。いつの日にか、わたくしは再び妙林寺の松山に鳶の鳴声をきき得るのであろう。今ごろ備中総社の町の人たちは裏山の・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・半ばおろしたる蔀の上より覗けば四、五人の男女炉を囲みて余念なく玉蜀黍の実をもぎいしが夫婦と思しき二人互にささやきあいたる後こなたに向いて旅の人はいり給え一夜のお宿はかし申すべけれども参らすべきものとてはなしという。そは覚期の前なり。喰い残り・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・祖母の云うのはみんな北海道開拓当時のことらしくて熊だのアイヌだの南瓜の飯や玉蜀黍の団子やいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田先生へ行くと云って届けたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員を超えたこと・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・そしてことしは肥料も降ったので、いつもなら厩肥を遠くの畑まで運び出さなければならず、たいへん難儀したのを、近くのかぶら畑へみんな入れたし、遠くの玉蜀黍もよくできたので、家じゅうみんなよろこんでいるというようなことも言いました。またあの森の中・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・この人について行ってくれ。玉蜀黍の脱穀をしてるんだ。機械は八時半から動くからな。今からすぐ行くんだ。」農夫長は隣りで脚絆を巻いている顔のまっ赤な農夫を指しました。「承知しました。」 みんなはそれっきり黙って仕度しました。赤シャツはみ・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・そしておみちはそのわずかの畑に玉蜀黍や枝豆やささげも植えたけれども大抵は嘉吉を出してやってから実家へ手伝いに行った。そうしてまだ子供がなく三年経った。 嘉吉は小屋へ入った。(お前さま今夜ほうのきさ仏さん拝おみちが膳の上に豆の餅の皿を・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・油揚の代りに近頃盛んになったのは玉蜀黍です。これはけれども消化はあんまりよくありません。」「時間がも少しですから、次の教室をご案内いたしましょう。」校長がそっと私にささやきました。そこで私はうなずき校長は先に立って室を出ました。「第・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
出典:青空文庫