・・・更に生徒の学年成績に匹敵すべきものである。僅一行の数字の裏面に、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と成敗とが潜んでいる。 従ってイズムは既に経過せる事実を土台として成立するも・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・その頃の生徒や教師に対して、一人一人にみな復讐をしてやりたいほど、僕は皆から憎まれ、苛められ、仲間はずれにされ通して来た。小学校から中学校へかけ、学生時代の僕の過去は、今から考えてみて、僕の生涯の中での最も呪わしく陰鬱な時代であり、まさしく・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・そしてまた一方は湖になっていて毎年一人ずつ、その中学の生徒が溺死するならわしになっていた。 その湖の岸の北側には屠殺場があって、南側には墓地があった。 学問は静かにしなけれゃいけない。ことの標本ででもあるように、学校は静寂な境に立っ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ たとえば政府にて、学校を立てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集むるは、政府の政なり。平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代小作米を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・それも僅かの間で、語学部もなくなって、その生徒は全然商業学校の生徒にされて了う。と、私はぷいと飛出して了った。その時、親達は大学に入れと頻りに勧めたが、官立の商業学校に止まらなかったと同様に、官立の大学にも入らなかった。で、終には、親の世話・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ぼくは何だか今日は一日あの学校の生徒でないような気がした。教科書は明日買う。四月六日 月今日は入学式だった。ぼんやりとしてそれでいて何だか堅苦しそうにしている新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴れ出す。来年・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・十七八人の男女の工場学校の生徒が六列に並んで、一人の生徒の指揮につれて手を動かし、足をあげ、時々、ホ! ホ! エハーッ! エハーッ!とかけ声をかけ、笑いながらやっている。広場の奥の大きい厩か納屋だったらしい建物があって・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・を書いて、中学生徒に私通をさせた。どれもどれも危険この上もない。 パアシイ族の虐殺者が洋書を危険だとしたのは、ざっとこんな工合である。 * * * パアシイ族の目で見られる・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・橋の上を駄馬が車を輓いて通っていった。生徒の小さ番傘が遠くまで並んでいた。灸は弁当を下げたかった。早くオルガンを聴きながら唱歌を唄ってみたかった。「灸ちゃん。御飯よ。」と姉が呼んだ。 茶の間へ行くと、灸の茶碗に盛られた御飯の上からは・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・その時までに西田先生の論文は二度ぐらい哲学雑誌に出たかと思うが、一高の生徒であったわたくしたちの眼には触れなかった。だからわたくしは非常に驚いて岡本の話を聞いたのである。しかし四高では、すでに前々から先生の存在が大きく生徒たちの眼に映ってい・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫