・・・しかし兵衛も用心が厳しいと見えて、容易に在処を露さなかった。一度左近が兵衛らしい梵論子の姿に目をつけて、いろいろ探りを入れて見たが、結局何の由縁もない他人だと云う事が明かになった。その内にもう秋風が立って、城下の屋敷町の武者窓の外には、溝を・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・わたしはまず何よりも先へ、あなたがたの爪にかからないように、用心しなければなりません。 小野の小町 まあ、何と云う人聞きの悪い、手前勝手な理窟でしょう。 玉造の小町 ほんとうに男のわがままには呆れ返ってしまいます。(黄泉女こそ男の餌・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・ この頃浮浪人が出て毎晩集会所に集って焚火なぞをするから用心が悪い、と人々がいうので神社の世話役をしていた笠井は、おどかしつけるつもりで見廻りに来たのだった。彼れは固より樫の棒位の身じたくはしていたが、相手が「まだか」では口もきけないほ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・そう思いながらクララは音を立てないように用心して、かけにくい背中のボタンをかけたりした。そしていつもの習慣通りに小箪笥の引出しから頸飾と指輪との入れてある小箱を取出したが、それはこの際になって何んの用もないものだと気が付いた。クララはふとそ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔から伝説を持った大な一面の石がある――義経記に、……加賀国富樫と言う所も近くなり、富樫の介と申すは当国の大名なり、鎌倉殿より仰は蒙らねども、内々用心して判官殿を待奉るとぞ聞えける。武蔵・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・寂とした暮方、……空地の水溜を町の用心水にしてある掃溜の芥棄場に、枯れた柳の夕霜に、赤い鼻を、薄ぼんやりと、提灯のごとくぶら下げて立っていたのは、屋根から落ちたか、杢若どの。……親は子に、杢介とも杢蔵とも名づけはしない。待て、御典医であった・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・こうなると、いつ、どこからくまが飛び出してくるかわからないので、猟師は用心の上にも用心をして、ゆきますと、どこか、あちらのがけのあたりで、ものすごいうなり声のようなものがきこえました。「あ、こないだの猟師に打たれた、くまが傷をうけて倒れ・・・ 小川未明 「猟師と薬屋の話」
・・・男と思われても構わないが、しかし、私は小説の中で嘘ばっかし書いているから、だまされぬ用心が肝腎であると、言うつもりだった。しかし、それを言えば、女というものは嘘つきが大きらいであるから、ますます失敗であろう。 だから、私は小説家というも・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・面会の時間はかなりの早朝だったから、原稿を書く仕事で夜ふかしする癖の私は、寝過さぬ要心に、徹夜して朝を待つことにした。うっかり寝てしまうと、なかなか思った時間に眼が覚めないと心配したからだ。雨も風も容易に止まなかった。風速十三米と覚しき烈風・・・ 織田作之助 「面会」
・・・ 永い間自分は用心して、子を造るまいと思ってきたのに――自然には敵わないなあ!――ちょうど一年前「蠢くもの」という題でおせいとの醜い啀み合いを書いたが、その時分もおせいは故意にかまた実際にそう思いこんだのか、やはり姙娠してると言いだ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫