・・・この眼科医とその前日現に出会って用談をしているうちに邪魔がはいって談を中絶された事があったのである。それからまたその「植物の」というだけがある他のプロフェッサーからその美しい夫人それから他の婦人患者といったふうにいろいろの錯綜した因果の網目・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・婦人の既に年頃に達したる者が、人に接して用談は扨置き、寒暖の挨拶さえ分明ならずして、低声グツ/\、人を困却せしむるは珍らしからず。殊に病気の時など医師に対して自から自身の容態を述ぶるの法を知らず、其尋問に答うるにも羞ずるが如く恐るゝが如くに・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・花柳の間に奔々して青楼の酒に酔い、別荘妾宅の会宴に出入の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飲み妓に戯るるの傍らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶに由なしという。醜極まりて奇と称すべし。 数百年来の習俗なれ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ なんて云っている人もあり一方ではそろそろ大切な用談がはじまりかけました。「ええと、失礼ですが山男さん、あなたはおいくつでいらっしゃいますか。」「二十九です。」「お若いですな。やはり一年は三百六十五日ですか。」「一年は三・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・ 用向と云うのは、その書店で編輯して居る雑誌のことにつき、或話をききたいと云うのであった。用談がすむと、二三の人の噂をし、淡青い色の巻煙草の箱を出した。 家族に喫煙する者がないので、道具の出してないのに心付き、私は火鉢を彼の近くに押・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・ 格別用談もなくてその記者が去り、やがて黒外套の見知らない人も出て行った。二人きりになったとき、重吉が、出ていたノートを書類鞄にしまいながら、「ひろ子、来たついでに経歴書、出してゆくか」と云った。「経歴書って――」 突然・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・私の記憶に残っているのは、ただ一つ、畔柳芥舟が何かの用談に来ていたくらいのものである。 大正三年ごろの木曜会は、初期とはだいぶ様子が違って来ていたのであろうと思うが、私にはっきりと目についたのは、集まる連中のなかの断層であった。古顔の連・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫