・・・甚太夫は平太郎の死に責任の感を免れなかったのか、彼もまた後見のために旅立ちたい旨を申し出でた。と同時に求馬と念友の約があった、津崎左近と云う侍も、同じく助太刀の儀を願い出した。綱利は奇特の事とあって、甚太夫の願は許したが、左近の云い分は取り・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・お礼の申しようも御座んせん」 すぐそばで気息せき切ってしみじみといわれるお婆様の声を私は聞きました。妹は頭からずぶ濡れになったままで泣きじゃくりをしながらお婆様にぴったり抱かれていました。 私たち三人は濡れたままで、衣物やタオルを小・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・「お召ものの飾から、光の射すお方を見たら、お連れ申して参りますように、お使でございます。」と交る交るいって、向合って、いたいたけに袖をひたりと立つと、真中に両方から舁き据えたのは、その面銀のごとく、四方あたかも漆のごとき、一面の将棋盤。・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・段ばしごの下から、「舟がきてるからお客さまに申しあげておくれ」というのは、主人らしい人の声である。飯がすむ。娘はさがる。 鵜島は、湖水の沖のちょうどまんなかごろにある離れ小島との話で、なんだかひじょうに遠いところででもあるように・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・も加賀染の模様のいいのなんか着せていろいろ身ぎれいにしてやるので誰云うともなく美人問屋と云ってその娘を見ようと前に立つ人はたえた事がない、丁度年頃なのであっちこっちからのぞみに母親もこの返事に迷惑して申しのべし、「手前よろしければかねて手道・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・別に申し合わせたわけでもなかったが、時々は向うから誘うこともあった。気がつかずにいたが、毎度風呂の中で出くわす男で、石鹸を女湯の方から貰って使うのがあって、僕はいつも厭な、にやけた奴だと思っていた。それが一度向うからあまり女らしくもない手が・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・元治年中、水戸の天狗党がいよいよ旗上げしようとした時、八兵衛を後楽園に呼んで小判五万両の賦金を命ずると、小判五万両の才覚は難かしいが二分金なら三万両を御用立て申しましょうと答えて、即座に二分金の耳を揃えて三万両を出したそうだ。御一新の御東幸・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・とも純粋なる英語であるだろう」と申しました。そうしてかくも有名なる本は何であるかというと無学者の書いた本であります。それでもしわれわれにジョン・バンヤンの精神がありますならば、すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・その手続きはどうでも好い事だから、申しません。わたくしはその男の妻だと、只今まで思っていた女です。わたくしはあなたの人柄を推察して、こう思います。あなたは決して自分のなすった事の成行がどうなろうと、その成行のために、前になすった事の責を負わ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ときは、いつも黒い馬車に乗っていられます。そして、いつも皇子は、黒のシルクハットをかぶり、燕尾服を着ておいでになります。そして片目なので、黒の眼鏡をかけておいでになるということです。」と申しあげました。 お姫さまは、これを聞くと、前の家・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
出典:青空文庫