・・・日本もまた小児に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?「大唐の軍将、戦艦一百七十艘を率いて白村江・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・それでこそ日本男児じゃ。」 穂積中佐はもう一度、そっと将軍へ眼を注いだ。すると日に焼けた将軍の頬には、涙の痕が光っていた。「将軍は善人だ。」――中佐は軽い侮蔑の中に、明るい好意をも感じ出した。 その時幕は悠々と、盛んな喝采を浴びなが・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ ある日、彼は客のなきままに、自分で勝手なことを書いては消し、ワット、ステブンソン、などいう名を書いていると、八歳ばかりの男児を連れた衣装のよい婦人が前に立った。「ワット」と児供が読んで、「母上、ワットとは何のこと?」と聞いた。桂は顔を・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・が、おれは男だ、おれは男だ、一婦人のために心を労していつまで泣こうかと思い返して、女々しい心を捨ててしきりに男児がって諦めてしまった。しかし歳が経っても月が経っても、どういうものか忘れられない。別れた頃の苦しさは次第次第に忘れたが、ゆかしさ・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ねえが、それでも帰るに若干銭か握んで家へ入えるならまだしもというところを、銭に縁のあるものア欠片も持たず空腹アかかえて、オイ飯を食わしてくれろッてえんで帰っての今朝、自暴に一杯引掛けようと云やあ、大方男児は外へも出るに風帯が無くっちゃあと云・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・けれども、まだまだ三田君を第一等の日本男児だとは思っていなかった。まもなく、函館から一通、お便りをいただいた。 太宰さん、御元気ですか。 私は元気です。 もっともっと、 頑張らなければなりません。 御身体、大切に、 ・・・ 太宰治 「散華」
・・・しかし、私も若干馬齢を加えるに及び、そのような風変りの位置が、一個の男児としてどのように不面目、破廉恥なものであるかに気づいていたたまらなくなりまして、「こぞの道徳いまいずこ」という題の、多少、分別顔の詩集を出版いたしましたところ、一ぺんで・・・ 太宰治 「男女同権」
東京の家は爆弾でこわされ、甲府市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、津軽の私の生れた家に行かざるを得なくなった。津軽の生家では父も母も既になくなり・・・ 太宰治 「庭」
・・・ 着物、ハダカヲ包メバ、ソレデイイ、柄モ、布地モ、色合イモ、ミンナ意味ナイ、二十五歳ノ男児、一夜、真紅ノ花模様、シカモチリメンノ袷着テ、スベテ着物ニカワリナシ、何ガオカシイ。 アワレ美事! ト屋根ヤブレルホドノ大喝采、ソレモ一瞬ノチ・・・ 太宰治 「走ラヌ名馬」
・・・ 出征する年少の友人の旗に、男児畢生危機一髪、と書いてやりました。 忙、閑、ともに間一髪。 太宰治 「春」
出典:青空文庫