・・・ この日酉の下刻に町奉行筒井伊賀守政憲が九郎右衛門等三人を呼び出した。酒井家からは目附、下目附、足軽小頭に足軽を添えて、乗物に乗った二人と徒歩の文吉とを警固した。三人が筒井政憲の直の取調を受けて下がったのは戌の下刻であった。 十六日・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・当時の町奉行は、東が稲垣淡路守種信で、西が佐佐又四郎成意である。そして十一月には西の佐佐が月番に当たっていたのである。 じいさんが教えているうちに、それを聞いていた長太郎が、「そんなら、おいらの知った町だ」と言った。そこで姉妹は長太郎を・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は罪人の親類の中で、おも立った一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。これは上へ通った事ではないが、いわゆる大目に見るのであった、黙許であった。 当時遠島を申し渡された罪・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫