・・・三月三日、ベルギー官憲はマルクスを捕え、マルクス夫人も捕縛して一晩留置場へ入れた。この無法なやりかたは、当時のブルッセル市民を怒らせた。しかし、彼らにマルクス一家の生活を保護する力はなかったのである。マルクスたちは翌日パリへ赴いた。 パ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・という題によって書かれた留置場生活の記録など。――それにもかかわらず小説はかかれなければならなかった。プロレタリア文学の方針が政治偏向で、小林多喜二のように作家を政治的な場面においこんで、才能を濫費させたという、本質的にはデマゴギッシュな団・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・一ヵ月半ばかり経った時、作家同盟の木村好子さん、後藤郁子さんが折角面会に来て呉れたのに、留置場の私がそれを知ったのは翌日のしかも夕方でした。出て来てからそのときの話をきくと、まあ何と憎らしいことでしょう! 駒込署の高等係は、余り二人の同志が・・・ 宮本百合子 「逆襲をもって私は戦います」
・・・看守と雑役とが途切れ、途切れそのことについて話すのを、留置場じゅうが聞いている。二つの監房に二十何人かの男が詰っているがそれらはスリ、かっぱらい、無銭飲食、詐欺、ゆすりなどが主なのだ。 看守は、雑役の働く手先につれて彼方此方しながら、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・[自注5]去年も一昨年もひどい夏でした――一九三四年の夏は二人とも留置場生活中であった。一九三五年の夏はまた百合子が留置場生活であった。 七月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 七月九日。きょうのおかゆはど・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・更にこの法隆寺の火事からは、思いがけない毒まんじゅうがころげ出し、責任者である僧は、留置場でくびをつりそこなった。古代壁画がはがれてむき出された法隆寺現代図絵である。また、あらゆる面にはびこっている日本の封建的な官僚主義やセクト主義が、法隆・・・ 宮本百合子 「国宝」
・・・ そして、杉並署へついて、留置場へ入れられかけた。留置場の女のところは一杯で、もう入れられないと、看守がことわった。「何だって、今夜はァあとからあとからつっちェくるんだ」と看守が不満そうに抗議した。留置場は一杯になっていた。小林多喜二の・・・ 宮本百合子 「今日の生命」
・・・泡盛によっぱらって、留置場のタタキの上で一晩中あばれていただけの者が、警察にとまったからと云って指紋はとられなかった。 盗んだ、殺した、火をつけたという事件の容疑者が指紋をとられた、と同じに、思想上の問題で検束されたりした者が、指紋をと・・・ 宮本百合子 「指紋」
・・・それらの子供たちの「逮捕留置」が、いまの少年法では困難だ、と論じられている。わたしたち日本の人民は目を大きくあいて、この一行をよむべきである。東條内閣のとき、反戦・反軍をあおる「犯罪」というものがあった。その嫌疑、その告発によって人々は生命・・・ 宮本百合子 「修身」
・・・マルクス主義を深く理解している者としての筆致で、野呂栄太郎の伝記が細かに書かれ、最後は野呂栄太郎がスパイに売られて逮捕され、品川署の留置場で病死したことが語られている。「昭和八年十一月二十八日敵の摘発の毒牙にかかって遂に検挙され」当時既に肺・・・ 宮本百合子 「信義について」
出典:青空文庫