・・・年間を通じて受けた教育のうちでいまだに忘れられぬ唯一の智識なのであるが、訪れるたびごとに何か驚異と感慨をあらたにしてくれる青扇と、この文法の作例として記されていた一句とを思い合せ、僕は青扇に対してある異状な期待を持ちはじめたのである。 ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・という異状な質問を発しているのである。無智文盲の弟子たちの答一つに頼ろうとしているのである。けれども、ペテロは信じていた。愚直に信じていた。イエスが神の子である事を信じていた。だから平気で答えた。イエスは、弟子に教えられ、いよいよ深く御自身・・・ 太宰治 「誰」
・・・勝治は緊張して、そっと庭のほうから外へ出て家のぐるりを見廻り、「異状ないようです。」と小声で報告する。「そうか、ありがとう。もう僕も、今夜かぎりで君と逢えないかも知れませんが、けれども一身の危険よりも僕にはプロパガンダのほうが重大事です。逮・・・ 太宰治 「花火」
・・・「西部戦線異状なし」は、今日の映画としては、別にこれといって頭に残るほどのものもなかったようである。ただあまりわざとらしいような芝居が割合に少なく思われたのは成効かもしれない。河畔の営舎の昼飯後の場面が、どこかのどかでものうげで、そうし・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 午過ぎに二階へ上がっていたら、階段の下から下女が大きな声を立てて猫の異状を訴えて来た。おりて来て見ると、三毛は居間の縁の下で、土ぼこりにまみれたねずみ色の団塊を一生懸命でなめころがしていた。それはほとんど生きているとは思われない海鼠の・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・帰っての話によると、地震の時長男が二階に居たら書棚が倒れて出口をふさいだので心配した、それだけで別に異状はなかったそうである、その後は邸前の処に避難していたそうである。 夜警で一緒になった人で地震当時前橋に行っていた人の話によると、一日・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ 檻の前に集まる見物人の中には、この象の精神の異状を聞き知っているものも少なくなかった。「オイオイ、なるほど変な目つきをしてやあがるぜ」などと話し合っているのを聞いた事もあったが、そう言われればなるほど私にも多少そう思われない事もなかっ・・・ 寺田寅彦 「解かれた象」
・・・ 無闇に井戸を掘って熱泉を噴出させたために規則正しい大湯の週期的噴泉に著しい異状を来したというので県庁の命令で附近の新しい噴泉井戸を埋めることになった。自分は官命によってその埋井工事を見学に行ったが、それは実に珍しい見ものであった。二、・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・又はレマルクの「西部戦線異状なし」バルビュスの「砲火」などを読んだ人々は、燈火管制下の夜の凄さというものは、仮死どころか、その闇の中にあって異常に張りつめられている注意、期待、決意がかもし出す最も密度の濃い沈黙的緊張の凄さであることを、実感・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・こういうことは、わたしたちの常識にとっては異状に見える。堅実に、堅実に、耐乏して生産復興と云われ、勤労者はその気で生きている傍で踊子たちが宝くじのぐるぐる廻るルーレットを的に矢を射ている。しかし、きょう勤労するすべての人に企業整備の大問題が・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
出典:青空文庫