・・・建物は不安に歪んで、病気のように瘠せ細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏の脚みたいに、へんに骨ばって畸形に見えた。「今だ!」 と恐怖に胸を動悸しながら、思わず私が叫んだ時、或る小さな、黒い、鼠・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・「それがどうにもならないんだ。病気なのはあの女ばかりじゃないんだ。皆が病気なんだ。そして皆が搾られた渣なんだ。俺達あみんな働きすぎたんだ。俺達あ食うために働いたんだが、その働きは大急ぎで自分の命を磨り減しちゃったんだ。あの女は肺結核の子・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ * * * 吉里は用事をつけてここ十日ばかり店を退いているのである。病気ではないが、頬に痩せが見えるのに、化粧をしないので、顔の生地は荒れ色は蒼白ている。髪も櫛巻きにして巾も掛けずにいる。年も二歳ばかり・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・また老人が長々病気のとき、其看病に実の子女と養子嫁と孰れかと言えば、骨肉の実子に勝る者はなかる可し。即ち親子の真面目を現わす所にして、其間に心置なく遠慮なきが故なり。其遠慮なきは即ち親愛の情の濃なるが故なり。其愛情は不言の間に存して天下の親・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・て置けば過去の罪が消えて未来の障りがなくなるのであった、それを埋めてやったのは慈悲なようであってかえって慈悲でないのであるけれども、これも定業の尽きぬ故なら仕方がない、これじゃ次の世に人間に生れても、病気と貧乏とで一生困められるばかりで、到・・・ 正岡子規 「犬」
・・・この辺ではこの仕事を夏の病気とさえ云います。けれども全くそんな風に考えてはすみません。私たちはどうにかしてできるだけ面白くそれをやろうと思うのです。 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ 只さえ秋毛は抜ける上に、夏中の病気の名残と又今度の名残で倍も倍も抜けて仕舞う。 いくら、ぞんざいにあつかって居るからってやっぱり惜しい気がする。 惜しいと思う気持が段々妙に淋しい心になって来る。 細かい「ふけ」が浮いた抜毛・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・一月に一度位ずつ病気をしないものはない。それをしないのは木村だけである。 木村は「非常持出」と書いた札の張ってある、煤色によごれた戸棚から、しめっぽい書類を出して来て、机の上へ二山に積んだ。低い方の山は、其日々々に処理して行くもので、そ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・親方に金出さそうと思うたかて、勝手の病気やぬかしてさ。鐚銭一文出しやがらんでお前、代りに暇出しやがって。」「そうか、道理で顔が青いって。」「そうやろが。」「そしてこれから何処行きや?」「何処って、俺に行くとこあるものか。母屋・・・ 横光利一 「南北」
・・・口の内で何かつぶやきながら、病気な弟がニッツアからよこした手紙を出して読んで見た。もうこれで十遍も読むのである。この手紙の慌てたような、不揃いな行を見れば見る程、どうも自分は死にかかっている人の所へ行くのではないかと思うような気がする。そこ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫