あちこちに廃墟が出来てから、東京という都会の眺望は随分かわった。小石川の白山から、坂の上にたって、鶏声ケ窪の谷間をみわたすと、段々と低くなってゆく地勢とそこに高低をもって梢を見せている緑の樹木の工合がどこかセザンヌの風景め・・・ 宮本百合子 「藤棚」
・・・夜になると、月のない闇空に、黒い入道雲が走り、白山山脈の彼方で、真赤な稲妻の閃くのが見えた。 夜中に、二度ばかり、可なり強い地震で眼を醒された。然し、愈々夜が明けると、二百十日は案外平穏なことがわかった。前夜の烈風はやんで、しとしとと落・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・ 去年の十二月であった。白山下の花屋の店に、二銭の正札附でサフランの花が二三十、干からびた球根から咲き出たのが列べてあった。私は散歩の足を駐めて、球根を二つ買って持って帰った。サフランを我物としたのはこの時である。私は店の爺いさんに問う・・・ 森鴎外 「サフラン」
・・・石川の邸は水道橋外で、今白山から来る電車が、お茶の水を降りて来る電車と行き逢う辺の角屋敷になっていた。しかし伊織は番町に住んでいたので、上役とは詰所で落ち合うのみであった。 石川が大番頭になった年の翌年の春、伊織の叔母婿で、やはり大番を・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・わたくしは白山の通りで、この車が洋紙をきんさいして王子から来るのにあうことがある。しかしそういうときにはこの車はわたくしの目にとまらない。 わたくしはこの車が空車として行くにあうごとに、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。車はすでに大き・・・ 森鴎外 「空車」
出典:青空文庫