・・・全く、愚鈍な白痴でしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。 私は、間違っていたのでございます。私は、これでも自身の知覚のデリケエトを、なんだか高尚のことに思って、それを頭のよさと思いちがいして、こっそり自身をいたわっていたところ、なか・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・「僕は、ドストエフスキイの、白痴を読んだ。これこそ、野蛮人の作品というものだ。僕も書く。」かれは、ビュビュ・ド・モンパルナスを書きあげた。「君のビュビュに就いての記事、僕はずいぶんうれしかった。けれども君は、僕の強さを忘れて居る。僕は執拗な・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・熱と根気さえあれば白痴でない限り誰でもいくらかの貢献を科学の世界に齎し得るものであるという確信を、先生や先輩に授けられたことが一番尊い賜物であるように思われる。 科学の知識はそれを求める熱さえあれば必ずしも講義は聞かなくても書物からも得・・・ 寺田寅彦 「雑感」
・・・僕は二十八歳の時に、初めてドストイェフスキイの小説『白痴』をよんで吃驚した。というのは、その小説の主人公である白痴の貴族が、丁度その僕と同じ精神変質者であったからだ。白痴の主人公は、愛情の昂奮に駆られた時、不意に対手の頭を擲ろうとする衝動が・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
一 田舎では何処にでも、一つの村に一人は、馬鹿や村中の厄介で生きている独りものの年寄があるものだ。敷生村では十年ばかり前、善馬鹿という白痴がいた。女子供に面白がられたり可怖がられたりしていたが、池・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 自分の妹を死ぬ様になどと云うのはいかにも惨酷な様に聞えるけれ共たった一人の妹を愛する心は白痴の恥かしい姿を生きた屍にさらして悲しい目を見せるよりはとその死を願うのであった。 心はせかせかして足取りや姿は重く止めどなくあっちこっち歩・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ まだ確かだった時に、丸をつけたり線を引いたりして、夢中になって読んだ本の中に座り込んで、あの、白痴特有のゲタゲタ笑いをしながら、書いたものを文庫から引きずり出しては、ベリベリ……ベリ……と、引き裂いて居る。 母は、急に足りなくなっ・・・ 宮本百合子 「熱」
・・・彼の腹は白痴のような田虫を浮かべて寝衣の襟の中から現れた。彼の爪は再び迅速な速さで腹の頑癬を掻き始めた。頑癬からは白い脱皮がめくれて来た。そうして、暫くは森閑とした宮殿の中で、脱皮を掻きむしるナポレオンの爪音だけが呟くようにぼりぼりと聞えて・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・この噂を聞いて「それは嘘だ、殿様に限ってそんな白痴をなさろうはずがない」といい罵るものもありましたが、また元の奥様を知っていた人から、すぐに聞たッて、一々ほんとうだといい張る者さえあったんです。その話というはこうなんです。 人の知らない・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫