・・・ 缶づめ屋の店には薄暗い中に白菊が幾鉢も置いてあった。僕はその店をちらりと見た時、なぜか「ああ、Sの家は青木堂の支店だった」と思った。「君は今お父さんと一しょにいるの?」「ああ、この間から。」「じゃまた。」 僕はSに別れ・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・の縁日にといって内を出た時、沢山ある髪を結綿に結っていた、角絞りの鹿の子の切、浅葱と赤と二筋を花がけにしてこれが昼過ぎに出来たので、衣服は薄お納戸の棒縞糸織の袷、薄紫の裾廻し、唐繻子の襟を掛て、赤地に白菊の半襟、緋鹿の子の腰巻、朱鷺色の扱帯・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 右左に大な花瓶が据って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多しい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗がまじって、女郎花のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉も落ちず露がしたたる。 時に、腹帯・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・円髷、前垂がけ、床の間の花籠に、黄の小菊と白菊の大輪なるを莟まじり投入れにしたるを視め、手に三本ばかり常夏の花を持つ。傍におりく。車屋の娘。撫子 今日は――お客様がいらっしゃるッて事だから、籠も貸して頂けば、お庭の花まで御無心し・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・雪国の冬だけれども、天気は好し、小春日和だから、コオトも着ないで、着衣のお召で包むも惜しい、色の清く白いのが、片手に、お京――その母の墓へ手向ける、小菊の黄菊と白菊と、あれは侘しくて、こちこちと寂しいが、土地がら、今時はお定りの俗に称うる坊・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・孝女白菊。雪の日のしじみ売り、いそぐ俥にたおされてえ。風鈴声。そのほかの、あざ笑いの言葉も、このごろは、なくなって、枕もとの電気スタンドぼっと灯って居れば、あれは五時まえ、消えて居れば、しめた五時半、ものも言わず蚊帳を脱けだし、兵古帯ひきず・・・ 太宰治 「創生記」
・・・その後、その香木は「白菊」と銘を改め細川家にとって数々の名誉を与えるものとなったのであるが、彌五右衛門は、三斎公に助命された恩義を思って、江戸詰御留守居という義務からやっと自由になった十三年目に、欣然として殉死した。三斎公の言葉として、作者・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ノギ将軍はすべての写真にあるような顔をした人形で、黄菊・白菊の服を着ていた。ステッセル将軍は、ただ碧い眼に赤い髭で、赤っぽい小菊の服を着せられていた。 往来からすぐ見えるところには、ありふれた動かない人形が飾ってあって、葭簀の奥をのぞく・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・ 十月十日 甘粕事件 公判開始 十月二十日 白菊の盛、蠅多き秋○国男折角来たのに「居たって何にもなりゃしない」 翌年 仕事をし始める。 四月十一日 伊太利亜の古陶、心の河、それをしまって野上さんのところへ・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(二)」
・・・と申す古歌の心にて、白菊と名附けさせ給由承り候。某が買い求め候香木、畏くも至尊の御賞美を被り、御当家の誉と相成り候事、存じ寄らざる儀と存じ、落涙候事に候。 その後某は御先代妙解院殿よりも出格の御引立を蒙り、寛永九年御国替の砌には、三斎公・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫