俊寛云いけるは……神明外になし。唯我等が一念なり。……唯仏法を修行して、今度生死を出で給うべし。源平盛衰記いとど思いの深くなれば、かくぞ思いつづけける。「見せばやな我を思わぬ友もがな磯のとまやの柴の庵を。」同上一・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・里の名に因みたる、いずれ盛衰記の一条あるべけれど、それは未だ考えず。われ等がこの里の名を聞くや、直ちに耳の底に響き来るは、松風玉を渡るがごとき清水の声なり。夏の水とて、北国によく聞ゆ。 春と冬は水湧かず、椿の花の燃ゆるにも紅を解くばかり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・途中まで来ると下男が迎えに来るのに逢いましたが、家に帰ると叔母と母とに叱られて、籠を井戸ばたに投げ出したまま、衣服を着更えすぐ物置のような二階の一室に入り小さくなって、源平盛衰記の古本を出して画を見たものです。 けれども母と叔母はさしむ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・此地の温泉は今春以来かく大きなる旅館なども設けらるるようなりしにて、箱館と相関聯して今後とも盛衰すべき好位置に在り。眺望のこれと指して云うべきも無けれど、かの市より此地まであるいは海浜に沿いあるいは田圃を過ぐる路の興も無きにはあらず、空気殊・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ と言って、女中にお酌でもさせてもらうように遠まわしの謎を掛けたりなどしてみたのであるが、彼は意識的にか、あるいは無意識的にか、一向にそれに気附かぬ顔をして、この港町の興亡盛衰の歴史を、ながながと説いて聞かせるばかりなので、私はがっかり・・・ 太宰治 「母」
・・・その埋め合わせというわけでもないかもしれないが、昔から相当に戦乱が頻繁で主権の興亡盛衰のテンポがあわただしくその上にあくどい暴政の跳梁のために、庶民の安堵する暇が少ないように見える。 災難にかけては誠に万里同風である。浜の真砂が磨滅して・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・二条良基は連歌の句々の推移のありさまを浮世の盛衰にたとえ、また四季の運行に比べている。これは気候変化の諸相のきわめて複雑多様な日本の国土にあって、この変化に対する敏感性を養われて来た日本人にのみ言われる言葉である。それで連歌以来季題が制定さ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分ってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰も一目の下に暸然会得できるような仕かけにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないか・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・一家の盛衰に婦人の力を及ぼす其勢力の洪大なるは、之を男子に比較して秋毫の差なし。而して其家を興すは即ち婦人の智徳にして争う可らざるの事実なるに、漫に之を評して無智と言う、漫評果して漫にして取るに足らざるなり。或は婦人が戸外百般の経営に暗きが・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・この国はもとより人民の掛り合いにして、しかも金主の身分たる者なれば、なんとして国の盛衰をよそに見るべけんや、たしかにこれを引請けざるべからず。国の盛衰を引請くるとは、すなわち国政にかかわることなり。人民は国政に関せざるべからざるなり。然りと・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫