・・・彼はただ大光明のために、烈しく眩暈が起るのを感じた。そうしてその光の中に、大勢の男女の歓喜する声が、澎湃と天に昇るのを聞いた。「大日おおひるめむち! 大日貴! 大日貴!」「新しい神なぞはおりません。新しい神なぞはおりません。」「・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ただ、確かに覚えているのは、その時私がはげしい眩暈を感じたと云う事よりほかに、全く何もございません。私はそのまま、そこに倒れて、失神してしまったのでございます。その物音に驚いて、妻が茶の間から駈けつけて来た時には、あの呪うべき幻影ももう消え・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 暗黒の裏に、自分の体の不工合を感じて、顫えながら、眩暈を覚えながら、フレンチはある運動、ある微かな響、かすめて物を言う人々の声を聞いた。そしてその後は寂寞としている。 気の狂うような驚怖と、あらあらしい好奇心とに促されて、フレンチ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・急にふらふらっと眩暈がした咄嗟に、こんな夫婦と隣り合ったとは、なんという因果なことだろうという気持が、情けなく胸へ落ちた。 翌朝、夫婦はその温泉を発った。私は駅まで送って行った。「へえ、へえ、もう、これぐらい滞在なすったら、ずっと効・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 彼はその刹那に、非常な珍宝にでも接した時のように、軽い眩暈すら感じたのであった。 彼は手を附けたらば、手の汗でその快よい光りが曇り、すぐにも錆が附きやしないかと恐るるかのように、そうっと注意深く鑵を引出して、見惚れたように眺め廻した。・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・肩が現われ、頸が顕われ、微かな眩暈のごときものを覚えると共に、「気配」のなかからついに頭が見えはじめ、そしてある瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らいながら、徐々に月の方へ登ってゆきます。K君の身体はだんだん意識の支配を失い、無意識な歩・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・地面はなにか玻璃を張ったような透明で、自分は軽い眩暈を感じる。「あれはどこへ歩いてゆくのだろう」と漠とした不安が自分に起りはじめた。…… 路に沿うた竹藪の前の小溝へは銭湯で落す湯が流れて来ている。湯気が屏風のように立騰っていて匂・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・遠靄のなかには音もきこえない水も動かない滝が小さく小さく懸っていた。眩暈を感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇道が寒ざむと白く匍っていた。日は谿向こうの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・翁は布団翻のけ、つと起ちあがりて、紀州よ我子よと呼びし時、目眩みてそのまま布団の上に倒れつ、千尋の底に落入りて波わが頭上に砕けしように覚えぬ。 その日源叔父は布団被りしまま起出でず、何も食わず、頭を布団の外にすらいださざりき。朝より吹き・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・かれは眩暈のするような高いところに立っていて、深い谷底を見下ろすような心地を感じた。目がぐるぐるして来て、種々雑多な思いが頭の中を環のようにめぐりだした。遠方で打つ大砲の響きを聞くような、路のない森に迷い込んだような心地がして、喉が渇いて来・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
出典:青空文庫