・・・狸穴近所には相応しい。が、私のいうのは流儀の事ではない。曲である。 この、茸―― 慌しいまでに、一樹が狂言を見ようとしたのも、他のどの番組でもなく、ただこれあるがためであろう、と思う仔細がある。あたかも一樹が、扇子のせめを切りながら・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・丁度風交りの雨がドシャドシャ降った日で、一代の皮肉家緑雨を弔うには極めて相応しい意地の悪い天気であった。 緑雨の全盛期は『国会新聞』時代で、それから次第に不如意となり、わざわざ世に背き人に逆らうを売物としたので益々世間から遠ざかるように・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・私たちに相応しいもののために私たちの美はあるのです」 彼女たちはたしかに美しき、善き何ものかである。少なくともそれにつながったものである。美と徳との理念をはなれて、彼女たちを考えることはできぬ。したがって彼女たちが何であるかを探り、彼女・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・求める心を内に抱いて、外はいくらか結晶性なのが――という意味は化合するまでには溶解することを要するという意味なのが相応しい気がする。それは「結ばれやすい」という性質は一方また「離れやすい」という性質にもなるので感情過多いわゆる水性ということ・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ここでしばらく飼うと脂気が抜けてしまうそうで、そのさっぱりした味がこの土地に相応しいような気もした。 宿の主人は禿頭の工合から頬髯まで高橋是清翁によく似ている。食後に話しに来て色々面白いことを聞かされた。残雪がまだ消えやらず化粧柳の若芽・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・赤天狗青天狗銀天狗金天狗という順序で煙草の品位が上がって行ったが、その包装紙の意匠も名に相応しい俗悪なものであった。轡の紋章に天狗の絵もあったように思う。その俗衆趣味は、ややもすればウェルテリズムの阿片に酔う危険のあったその頃のわれわれ青年・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ 上田の町を歩いている頃は高原の太陽が町のアスファルトに照り付けて、その余炎で町中はまるで蒸されるように暑く、いかにも夏祭りに相応しい天気であった。帰りの汽車が追分辺まで来ると急に濃霧が立籠めて来て、沓掛で汽車を下りるとふるえるほど寒か・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・それは死体と云った方が相応しいのだ。 私は白状する。実に苦しいことだが白状する。――若しこの横われるものが、全裸の女でなくて全裸の男だったら、私はそんなにも長く此処に留っていたかどうか、そんなにも心の激動を感じたかどうか―― 私は何・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・その展望において人民の力による民主主義がプランにのぼっている以上、その展望に相応しい文学の方法は社会主義リアリズムであると思います。自覚ある労働者は常に遅れた労働者の自然発生的なリアリズム――現実主義、実利主義と闘っています。彼らの経済主義・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・ 加之、そこには昔ながらの建物に相応しい藤棚があり、庭があり、泉水がありました。全体として、狭いながらも、それはチャンと整った一区画を示しているものでした。総てに懐しい昔の錆が現われて、石に生えてる苔までが、私をチャームするのです。此処・・・ 宮本百合子 「「奈良」に遊びて」
出典:青空文庫