・・・お妾は抜衣紋にした襟頸ばかり驚くほど真白に塗りたて、浅黒い顔をば拭き込んだ煤竹のようにひからせ、銀杏返しの両鬢へ毛筋棒を挿込んだままで、直ぐと長火鉢の向うに据えた朱の溜塗の鏡台の前に坐った。カチリと電燈を捻じる響と共に、黄い光が唐紙の隙間に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・又あるときは頭よりただ一枚と思わるる真白の上衣被りて、眼口も手足も確と分ちかねたるが、けたたましげに鉦打ち鳴らして過ぎるも見ゆる。これは癩をやむ人の前世の業を自ら世に告ぐる、むごき仕打ちなりとシャロットの女は知るすべもあらぬ。 旅商人の・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・木槿かと思われる真白な花もここかしこに見られた。 やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Oは石段を上る前に、門前の稲田の縁に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰に倣った。それ・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・林檎に至っては美しい皮一枚の下は真白の肉の色である。しかし白い肉にも少しは区別があってやや黄を帯びているのは甘味が多うて青味を帯びているのは酸味が多い。○くだものと香 熱帯の菓物は熱帯臭くて、寒国の菓物は冷たい匂いがする。しかし菓物の香・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・残った二、三羽の小鳥は一番いのチャボにかえられて、真白なチャボは黄なカナリヤにかわって、彼の籠を占領して居る。しかるに残酷なる病の神は、それさえも憎むと見えて、朝々一番鶏二番鶏とうたい出す彼の声は、夜もねられずに病牀に煩悶して居る予の頭をい・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ジェニファーをやるユンツェルもイレーネやババもその他みなそれぞれ活きていて、ババをやっているゲラルディーネは、真白に洗濯されたエプロンが青葉風にひるがえっているような心持で面白かった。十二年前、二人の娘とカルタで負けた借金をのこして良人が死・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・米屋の善どんは眉毛も着物も真白鼠で、働きながら、「今かえんのかい?」と訊いた。「うん」 一太は立ちどまって、善さんが南京袋をかついで来ては荷車に積むのや、モーターで動いている杵を眺めた。「今日はどこだい」「池の端」・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・まだ余りよごれていない、病人の白地の浴衣が真白に、西洋の古い戦争の油画で、よく真中にかいてある白馬のように、目を刺激するばかりで、周囲の人物も皆褐色である。「お医者様が来ておくんなされた」 と誰やらが云ったばかりで、起って出迎えよう・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・久右衛門は胡麻塩頭をしているのに、この爺いさんは髪が真白である。それでも腰などは少しも曲がっていない。結構な拵の両刀を挿した姿がなかなか立派である。どう見ても田舎者らしくはない。 爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆あさ・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・私はこの間に、まだ見たこともない大きな石臼の廻るあいだから、豆が黄色な粉になって噴きこぼれて来るのや、透明な虫が、真白な瓢形の繭をいっぱい藁の枝に産み作ることや、夜になると牛に穿かす草履をせっせと人人が編むことなどを知った。また、藪の中の黄・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫