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・・・このようにして和歌の優美幽玄も誹諧の滑稽諧謔も一つの真実の中に合流してそこに始めて誹諧の真義が明らかにされたのではないかと思われる。 芭蕉がいかにしてここに到着したか。もちろん天稟の素質もあったに相違ないが、また一方数奇の体験による試練・・・
寺田寅彦
「俳諧の本質的概論」
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・・・かの芸術が真義愛荘の高き理想を対象として「人生」を表現するはこれがためである。吾人はこの真義愛荘を通じて「全き者」を見たい。「全能」なるある者に接したい。荘厳なる華厳の滝万仞の絶壁に立つ時、堂々たる大蓮華が空を突いて聳だつ絶頂に白雲の皚々た・・・
和辻哲郎
「霊的本能主義」