・・・そうして自由に放恣な太古のままの秋草の荒野の代わりに、一々土地台帳の区画に縛られた水稲、黍、甘藷、桑などの田畑が、単調で眠たい田園行進曲のメロディーを奏しながら、客車の窓前を走って行くのである。何々イズムと名のついたおおかたの単調な思想のメ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・おおかた眠たいのだろうと思って、そっと書斎へ這入ろうとして、一歩足を動かすや否や、文鳥はまた眼を開いた。同時に真白な胸の中から細い足を一本出した。自分は戸を閉てて火鉢へ炭をついだ。 小説はしだいに忙しくなる。朝は依然として寝坊をする。一・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・尨大な数の不幸な人々と、顔色のわるい、骨格のよわいその子供たちとが、自分たちの運命をきりひらくために勇奮心をふるい起そうともしないで、波止場の波に浮ぶ藁しべのようにくさりつつ生きている光景は、どんな眠たい精神の目も、さまさせずにおかないもの・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
・・・――全く少し感情の強い現世的な人間が、あの整った自然の風景、静かな平らな、どこまでも見通しの利く市街、眠たい、しきたりずくめの生活に入ったら、何処ぞでグンと刺戟され情熱の放散を仕たいと切に望むだろう。そういう超日常を欲する心を、一いきに、古・・・ 宮本百合子 「京都人の生活」
・・・「ハ、ハ、眠たいです」 もう一人、縞服の男が来て、食卓についた。二人、四つ五つ離れた各々の卓子から会話を始めた。純益何割、保険金何割、何弗、何弗の話。……暇すぎる年寄の給仕が、時々ナプキンを振って蠅を追って居る。 ――いかにも物・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 眠たいのはもう馴れているとでもいうように、給仕は心得た顔つきで前菜をすすめなおした。 ――ああ、ねぶたいです…… 私共は、一時間ばかりで、また荷物を持ち、ジャパン・ホテルを出た。 一風呂浴び、三十分程仮寝をすると、Yは・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・辛いが健気なそれらの娘たちは、夕飯をたべる間もなくやって来る。眠たい頭、つかれた体を精一杯にひき立てて勉強する。気遣われるのは、彼女たちの生活を衛生的に助けてやりたい点であると語られていた。 それらの健気な娘さんたちが、そういう努力をと・・・ 宮本百合子 「若い娘の倫理」
・・・むこうの丸木橋の下にいたが、こちらへ向いて泳いでいた。眠たい水が鋼色にひろがる。青草に横わって池を眺めると、今は樹間をこめる紫っぽい夕暮の陰翳まで漣とともにひろがり、白鳥ばかり真白に、白樺の投影の裡に伸びた。〔一九二七年五月〕・・・ 宮本百合子 「わが五月」
出典:青空文庫