・・・人生の事象をよろず善悪のひろがりから眺める態度、これこそ人格という語をかたちづくる中核的意味でなければならぬ。私はいかなる卓越した才能あり、功業をとげたる人物であっても、彼がもしこの態度において情熱を持っていないならば決して尊敬の念を持ち得・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・私の夜空を眺めるとき、あの空に散りばめた星と星との背後に透視画的の運命のつながりがあり、それが私たち地上の別れた哀れな人間たちの運命の絆を象徴しているのではあるまいかというようなことも思い浮かべられるのである。別るるや夢一とすぢの天・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 下の兵士たちは、屋根から向うを眺める浜田の眼尻がさがって、助平たらしくなっているのを見上げた。「何だ? チャンピーか?」 彼等が最も渇望しているのは女である。「ピーじゃねえ。豚だ。」「何? 豚? 豚?――うむ、豚でもい・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・庭の内も今は草木の盛な時で、柱に倚凭って眺めると、新緑の香に圧されるような心地がする。熱い空気に蒸される林檎の可憐らしい花、その周囲を飛ぶ蜜蜂の楽しい羽音、すべて、見るもの聞くものは回想のなかだちであったのである。其時自分は目を細くして幾度・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・そのはずかしい心持で病室の窓から延び上って眺めると、時には庭掃除をする男がその窓の外へ来た。おげんはそんな落葉を掃き寄せる音の中にすら、女を欺しそうな化物を見つけて、延び上り延び上り眺め入って、自分で自分の眼を疑うこともあった。 ある夕・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・丁度今一群の人達を眺めると同じような眺め方であった。どうかするとある家の前で立ち留まって戸口や窓の方を見ることがあったが、間もなく、最初は緩々と、そのうちにまた以前のような早足になって、人々の群に付いて来たのである。その間老人は、いつも右の・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 実につまらない思いで、私ひとり、黄昏の海を眺める。 太宰治 「海」
・・・けれどもそれは、いかにも図々しい事のようだから、そこの小さい窓から庭を、むさぼるように眺めるだけで我慢する事にした。「池の水蓮は、今年はまあ、三十二も咲きましたよ。」祖母の大声は、便所まで聞える。「嘘でも何でも無い、三十二咲きましたてば・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・往来を眺める。格別物を考えはしない。 用事があってこの店へ来ることはない。金貸しには交際があるが、それはこの店を禁物にしていて近寄らない。さて文士連と何の触接点があるかと云うと、当時流行のある女優を、文士連も崇拝しているし、中尉達も崇拝・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・けれど無言の自然を見るよりも活きた人間を眺めるのは困難なもので、あまりしげしげ見て、悟られてはという気があるので、わきを見ているような顔をして、そして電光のように早く鋭くながし眼を遣う。誰だか言った、電車で女を見るのは正面ではあまりまばゆく・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫