・・・ これらは、西鶴一流とは云うものの、当時の日本人、ことに町人の間に瀰漫していて、しかも意識されてはいなかった潜在思想を、西鶴の冷静な科学者的な眼光で観破し摘出し大胆に日光に曝したものと見ることは出来よう。もしもそうでなかったらいかに彼の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・谷崎君の眼光は作者自身の心づかない処まで鋭く見透していた。 ここでちょっと井原西鶴について言いたい事がある。世人は元禄の軟文学を論ずる時必西鶴と近松とを並び称しているようであるが、わたくしの見る処では、近松は西鶴に比すれば遥に偉大なる作・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・するくらいな視覚力がないと視覚の発達した今日において充分理想通りの色を表現する事ができないと同様の意義で、――文学者の方でも同性質、同傾向、同境遇、同年輩の男でも、その間に微妙な区別を認め得るくらいな眼光がないと、人を視る力の発達した今日に・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・心気粗暴、眼光恐ろしく、動もすれば人に向て怒を発し、言語粗野にして能く罵り、人の上に立たんとして人を恨み又嫉み、自から誇りて他を譏り、人に笑われながら自から悟らずして得々たるが如き、実に見下げ果てたる挙動にして、男女に拘わらず斯る不徳は許す・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・直接のために眼光をおおわれて、地位の利害に眩すればなり。今、世の人心として、人々ただちに相接すれば、必ず他の短を見て、その長を見ず、己れに求むること軽くして人に求むること多きを常とす。すなわちこれ心情の偏重なるものにして、いかなる英明の士と・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ すべて女の手紙を読むには、行の間を読まなくてはならない。眼光紙背に徹せなくてはならない。ピエエル・オオビュルナンは得意の作の中にこう書いた事がある。「女の手紙の意味は読んで知れるものでは無い。推測しなくてはならない。たいていわざと言わ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・絵画における彼の眼光はきわめて高く、到底応挙、呉春らの及ぶところにあらず。しかれども蕪村は成功する能わずして歿し、かえって豎子をして名を成さしめたり。 蕪村の画を称する者多く俳画をいう。俳画は蕪村の書きはじめしものにして一種摸すべからざ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
もし私が肖像画家であったら、徳田球一氏を描くときどの点に一番苦心するだろうかと思う。例えば、徳田さんの眼は、独特である。南方風な瞼のきれ工合に特徴があるばかりでなく、その眼の動き、眼光が、ひとくちに云えば極めて精悍であるが・・・ 宮本百合子 「熱き茶色」
・・・遺憾ながら作者の眼光はそこまで徹しなかった。作者は、ただひたすら「昔のままの女であらせようとするものばかり」かたまっている周囲の社会に対して戦っている葉子を理解している。作者としてそれを支持している。しかし、ではどのような新しい道が葉子のた・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・作者の眼がゆきとどいているとか、あるいは、作者の眼光はいまだそこに達しないのである、とかいうふうに。文学のそとの世界でも、東洋人は「眼」という字を意味ふかく扱ってきている。眼光紙背に徹すとか、心眼とか。あなたの眼力には恐れいったと叩頭すると・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
出典:青空文庫