山吹つつじが盛だのに、その日の寒さは、俥の上で幾度も外套の袖をひしひしと引合せた。 夏草やつわものどもが、という芭蕉の碑が古塚の上に立って、そのうしろに藤原氏三代栄華の時、竜頭の船を泛べ、管絃の袖を飜し、みめよき女たち・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・入口の石の鳥居の左に、とりわけ暗く聳えた杉の下に、形はつい通りでありますが、雪難之碑と刻んだ、一基の石碑が見えました。 雪の難――荷担夫、郵便配達の人たち、その昔は数多の旅客も――これからさしかかって越えようとする峠路で、しばしば命を殞・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 雪難之碑のある処―― 天狗――魔の手など意識しましたのは、その樹のせいかも知れません。ただしこれに目標が出来たためか、背に根が生えたようになって、倒れている雪の丘の飛移るような思いはなくなりました。 まことは、両側にまだ家のあ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・石碑も、石塔も、倒れたり、のめったり、台に据っているのはほとんどない。それさえ十ウの八つ九つまでは、ほとんど草がくれなる上に、積った落葉に埋れている。青芒の茂った、葉越しの谷底の一方が、水田に開けて、遥々と連る山が、都に遠い雲の形で、蒼空に・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・一頃は訪う人どころか、苔の下に土も枯れ、水も涸いていたんですが、近年他国の人たちが方々から尋ねて来て、世評が高いもんですから、記念碑が新しく建ちましてね、名所のようになりました。それでね、ここのお寺でも、新規に、初路さんの、やっぱり記念碑を・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 石原というところに至れば、左に折るる路ありて、そこに宝登山道としるせる碑に対いあいて、秩父三峰道とのしるべの碑立てり。径路は擱きていわず、東京より秩父に入るの大路は数条ありともいうべきか。一つは青梅線の鉄道によりて所沢に至り、それより・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・さてそれより塩竈神社にもうでて、もうこの碑、壺の碑前を過ぎ、芭蕉の辻につき、青葉の名城は日暮れたれば明日の見物となすべきつもりにて、知る人の許に行きける。しおがまにてただの一銭となりければ、そを神にたてまつりて、からからとからき・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・一生涯の、重大な記念碑を、骨折って造りに行くのだぞ、と繰返し繰返し、自分に教えた。熱海で、伊東行の汽車に乗りかえ、伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、バスにゆられて南下し、その戸数三十の見る影も無い山村に降り立った。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・禍害なるかな、偽善なる学者、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、「我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに与せざりしものを」と。かく汝らは預言者を殺しし者の子たるを自ら証す。なんぢら己が先祖の桝目を充せ。蛇よ、蝮の裔・・・ 太宰治 「如是我聞」
先日、竹村書房は、今官一君の第一創作集「海鴎の章」を出版した。装幀瀟洒な美本である。今君は、私と同様に、津軽の産である。二人逢うと、葛西善蔵氏の碑を、郷里に建てる事に就いて、内談する。もう十年経って、お互い善蔵氏の半分も偉・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
出典:青空文庫