・・・然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に倫理教科書を草し、その草案を福沢先生に示して批評を乞いしに、その節、先生より大臣に贈りたる書翰ならびに評論一編あり。久しく世人の知らざるところなりしかども、今日また徳教論・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・明治三年庚午一一月二七夜、中津留主居町の旧宅敗窓の下に記す福沢諭吉 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・ 民法の改正は明治三十二年頃福沢諭吉が婦人のために力説した議論であった。当時日本の資本主義は小規模ながら興隆期にさしかかっていて、日本の中産階級が経済能力を増してきていた頃、福沢諭吉がいうとおり、今日のブルジョア民法としての民法改正が行・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ たとえば、福沢諭吉の時代、学生というものはまぎれもなく未来の担い手としての理解において自他ともに存在させられていたと思う。上野の山に砲声をききながら、福沢諭吉は塾の講堂を閉さずに、経済学の講義をしつづけた。このことには、学生をいかに見・・・ 宮本百合子 「家庭と学生」
・・・ 明治の大啓蒙家であった福沢諭吉が、自分の著書にいつも東京平民福沢諭吉と署名したことを知らないものはない。これは彼の気骨を物語っている。その反面に、明治が、その現実において、どんなにまで封建的であり、身分の観念と結びついた官僚主義が横行・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・の翻訳文学が一方にあり、福沢諭吉の新興ブルジョアジーの啓蒙者としての活動が重大な指針となった時代が去った後は、徳川末期の戯作者の気風、現実に対する無批判な妥協的態度が、西欧の文学的潮流の移植の側らにあって、常に日本の近代性の中に含まれている・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・新興文化の先駆としての福沢諭吉の啓蒙的文筆活動、翻訳小説と、魯文の文学とは、近代社会建設に向う意欲とその思想とに於て、役割に於て、本質を異にしたものであった。坪内逍遙の「小説神髄」が日本の近代小説への道を示したことは周知である。文芸理論に於・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・けれども、後進の日本は、民法のブルジョア民法としての改訂さえやっと一九四六年に行う状態である。福沢諭吉が提案した明治年代の日本における資本主義興隆期にはそれを行わず、半封建憲法・民法で押してきた。その結果、わたしたちの日常生活のあらゆる面と・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・ ずっとそういう心持が流れていたところこの間或る機会に、明治初年の年表を見ていたらその中に『明六雑誌』というものがあり、福沢諭吉、西周、加藤弘之、津田真道等という顔ぶれに交って祖父の名が出ていた。『明六雑誌』というものは明治七年三月に第・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ しかし、福沢諭吉はこの明治三十二年に六十六歳で「女大学評論」「新女大学」を発表し、貝原益軒流の女庭訓でしばられた日本の女の社会的な向上のために周密真摯な努力と具体策を示しているのである。 自身女性である中島湘煙が、なぜ女はみな魔が・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
出典:青空文庫