あきやまぎょくざん【秋山玉山】
[1702〜1764]江戸中期の儒学者。豊後 (ぶんご) の人。名は儀、字 (あざな) は子羽。通称、儀右衛門。昌平黌 (しょうへいこう) に学び、のち熊本藩に仕えた。時習館建設を進言。著「玉山詩集」など。
あきやまさねゆき【秋山真之】
[1868〜1918]海軍中将。愛媛の生まれ。好古 (よしふる) の弟。日露戦争で東郷平八郎連合艦隊司令長官の参謀。「天気晴朗なれども波高し」などの戦報の名文で知られる。
あきやまていすけ【秋山定輔】
[1868〜1950]政治家。岡山の生まれ。明治26年(1893)「二六 (にろく) 新報」を創刊。日露戦争のときロシアのスパイの嫌疑を受けて、衆議院議員を辞職。孫文らと親交を重ね、その革命運動を支援。
あきやまの【秋山の】
[枕]秋山の紅葉が美しく照り映える意から、赤く色づいている意の「したふ」「色なつかし」にかかる。「—したへる妹 (いも) 」〈万・二一七〉
あきやまのぼる【秋山登】
[1934〜2000]プロ野球選手・監督。岡山の生まれ。明大でアンダースローの投手として活躍。昭和31年(1956)大洋(横浜DeNAの前身)に入団。その年から9年連続の二桁 (けた) 勝利を記録。引退後、同球団の監督を務めた。
あきやまこうじ【秋山幸二】
[1962〜 ]プロ野球選手・監督。熊本の生まれ。昭和55年(1980)西武ライオンズに入団。西武の中心選手として活躍し、本塁打王と盗塁王を各1度獲得。後年、ダイエー(福岡ソフトバンクの前身)に移籍。引退後は福岡ソフトバンクの監督に就任し、平成23年(2011)にはチームを日本一に導いた。
あきやましゅん【秋山駿】
[1930〜2013]評論家。東京の生まれ。「内向の世代」を代表する文芸評論家として、人間の内面を凝視する評論で知られる。報知新聞社に在職中の昭和35年(1960)、評論「小林秀雄」で群像新人文学賞受賞。他に「知れざる炎」「砂粒の私記」など。「人生の検証」で伊藤整文学賞、「信長」で毎日出版文化賞・野間文芸賞受賞。芸術院会員。
あきやまよしふる【秋山好古】
[1859〜1930]陸軍大将。愛媛の生まれ。真之の兄。騎兵の育成に努め「日本騎兵の父」とよばれた。