・・・いて湘君の俤をしのばしめ、黒衣の新夫婦は唖々と鳴きかわして先になり後になり憂えず惑わず懼れず心のままに飛翔して、疲れると帰帆の檣上にならんで止って翼を休め、顔を見合わせて微笑み、やがて日が暮れると洞庭秋月皎々たるを賞しながら飄然と塒に帰り、・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 宵の大津をただふらふら歩き廻り、酒もあちこちで、かなり飲んだ様子で、同夜八時頃、大津駅前、秋月旅館の玄関先に泥酔の姿で現われる。 江戸っ子らしい巻舌で一夜の宿を求め、部屋に案内されるや、すぐさま仰向に寝ころがり、両脚を烈しくばたば・・・ 太宰治 「犯人」
・・・明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし、或時はここに外国の貴賓を迎えて之を接待し、又折ある毎に勧業博覧会及其他の集会をここに開催した。此の風習は伝えられて昭和の今日に及んでいる。公園は之がために年・・・ 永井荷風 「上野」
・・・それは年年秋月与二春花一 〔年年 秋の月と春の花と行楽何知鬢欲レ華 行楽して何ぞ知らん鬢華らんと欲するを隔レ水唯開川口店 水を隔てて唯だ開く川口の店背レ空鎖葛西家 を背にして空しく鎖す葛西の家紅裙翠黛人終・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・のみならず不品行にして狡猾なる奴輩は、己が獣行を勝手にせんとして流石に内君の不平を憚り、乃ち策を案じて頻りに其歓心を買い其機嫌を取らんとし、衣裳万端その望に任せて之を得せしめ、芝居見物、温泉旅行、春風秋月四時の行楽、一として意の如くならざる・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・者出て花見る人を咎めけり短夜や暇賜はる白拍子葛水や入江の御所に詣づれば稲葉殿の御茶たぶ夜なり時鳥時鳥琥珀の玉を鳴らし行く狩衣の袖の裏這ふ螢かな袖笠に毛虫をしのぶ古御達名月や秋月どのゝ艤 蕪村の句新奇ならざ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・同一座の作者となったが、二月目に意見の衝突をして飛び出し、その暮、秋月、川上、喜多村一座の作者となり、舞台監督をやる。 一九一六年。幕内の生活に堪えられず、これも三月目に逃げ出す。しみじみ自分の無力をおもう。精進の気遽に高まり、岡本市太・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・当時秋月には少壮者の結べる隊ありて、勤王党と称し、久留米などの応援を頼みて、福岡より洋式の隊来るを、境にて拒み、遂に入れざりしほどの勢なりき。これに反対したる開化党は多く年長けたる士なりしが、其首にたちて事をなす学者二人ありて、皆陽明学者な・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫