・・・「かたはらに秋草の花語るらく ほろびしものはなつかしきかな」 という牧水流の感情に耽ることも、許されていない。私の書かねばならぬのは、香りの失せた大阪だ。いや、味えない大阪だ。催眠剤に使用される珈琲は結局実用的珈琲だ・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・喬は足もとに闌れた秋草の鉢を見た。 女は博多から来たのだと言った。その京都言葉に変な訛りがあった。身嗜みが奇麗で、喬は女にそう言った。そんなことから、女の口はほぐれて、自分がまだ出てそうそうだのに、先月はお花を何千本売って、この廓で四番・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・織物ではあるが秋草が茂っている叢になっている。またそこには見えないが、色づきかけた銀杏の木がその上に生えている気持。風が来ると草がさわぐ。そして、御覧。尺取虫が枝から枝を葡っている。この二つをおまえにあげる。まだできあがらないから待って・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・この稀な大暑を忘れないため、流しつづけた熱い汗を縁側の前の秋草にでも寄せて、寝言なりと書きつけようと思う心持をもその時に引き出された。ことしのような年もめずらしい。わたしの住む町のあたりでは秋をも待たないで枯れて行った草も多い。坂の降り口に・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・「バラックを建ててやってはいますが、みんな食べて行くというだけのことでしょう。秋草さんのようなお店でも御覧なさいな、玉川の方の染物の工場だけは焼けずにあって、そっちの方へ移って行って、今では三越あたりへ品物を入れてると言いますよ――あの・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・野には明るい日が照り、秋草が咲き、里川が静かに流れ、角のうどん屋では、かみさんがせっせとうどんを伸していた。 私は最初に、かれのつとめていた学校をたずねた。かれの宿直をした室、いっしょに教鞭を取った人たち、校長、それからオルガンの前にも・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・そうして自由に放恣な太古のままの秋草の荒野の代わりに、一々土地台帳の区画に縛られた水稲、黍、甘藷、桑などの田畑が、単調で眠たい田園行進曲のメロディーを奏しながら、客車の窓前を走って行くのである。何々イズムと名のついたおおかたの単調な思想のメ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ こうして秋草の世界をちょっとのぞくだけでも、このわれわれの身辺の世界は、退屈するにはあまりに多くの驚異すべく歓喜すべき生命の現象を蔵しているようである。 今でも浅間の火口へ身を投げる人は絶えないそうである。そういう人たちが、もし途・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・日比谷で乗換える時に時計を見ると、まだ少し予定の時刻より早過ぎたから、ちょっと公園へはいってみた。秋草などのある広場へ出てみると、カンナや朝貌が咲きそろって綺麗だった。いつもとはちがってその時は人影というものがほとんど見えなくて、ただ片隅の・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・いわゆる原っぱへ出ると、南を向いた丘の斜面の草原には秋草もあれば桜の紅葉もあったが、どうもちょうどぐあいのいい所をここだと思い切りにくいので、とうとうその原っぱを通り越して往還路へおりてしまった。道ばたにはところどころに赤く立ち枯れになった・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫