・・・山の端の薄に顱巻を突合せて、あの親仁はまた反った。「違うんだよ。……何も更めて名のるほどの事もないんだけれど、子供ッて妙なもので、まわりに田があるから、ああ八田だ、それにしても八ツはない。……そんなことを独り合点した事も思出しておかしい・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・七畳の室に二十余人、その間に幼いもの三人ばかりを寝せてしまえば、他の人々はただ膝と膝を突合せて坐しおるのである。 罪に触れた者が捕縛を恐れて逃げ隠れしてる内は、一刻も精神の休まる時が無く、夜も安くは眠られないが、いよいよ捕えられて獄中の・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・財力、脳力、体力、道徳力、の非常に懸け隔たった国民が、鼻と鼻とを突き合せた時、低い方は急に自己の過去を失ってしまう。過去などはどうでもよい、ただこの高いものと同程度にならなければ、わが現在の存在をも失うに至るべしとの恐ろしさが彼らを真向に圧・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・起き出でて簀子の端に馬と顔突き合わせながら口そそぎ手あらいす。 肌寒や馬のいなゝく屋根の上 かろうじて一足の草鞋求め心いさましく軽井沢峠にかかりて 朝霧や馬いばひあふつゞら折 馬は新道を行き我は近道を登る。小鳥に踏み・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ がっちりした肩を突き合わせた彼等の密集は底強い圧力を感じさせた。執拗な抗議を感じさせた。彼等が闘いとった権力をもう二度とツァーに返すものかという決意が、まざまざ読みとれ、彼等はやはり言葉すくなに、携帯品預所でめいめいの手荷物をうけとり・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 人と人と鼻を突き合わせて見ると、何と云う人臭さが分る事でございましょう。 人間の醜さ、人間の有難さ、其は只、彼等の仲間である人間のみが知る事を得ます。 頭を下げても下げても、下げ切れない程、あらたかな人の裡には、憎んでも憎み切・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫