・・・木造とコンクリートとで燃え方がどうちがうか、そういう事に関する漠然たる概念でもよいから、一度確実に腹の底に落ちつけておけば、驚くには驚いても決して極度の狼狽から知らず知らず取り返しのつかぬ自殺的行動に突進するようなことはなくてすむわけである・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・さかな屋が裏木戸をあけて黙ってはいって来て、盤台を地面におろす、そのコトリという音が聞こえると、今まで中庭のベンチの上で死んだように長くなって寝そべっていた猫が、反射的に飛び起きて、まっしぐらに台所へ突進する。それももちろん結局は生理的であ・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 南向いている豚の尻を鞭でたたけば南へ駆け出し、北向いている野猪をひっぱたけば北へ向いて突進する。同じ鋳掛屋がもしも一風呂浴びてここを通りかかったのだったら、同じ絃歌の音は却って彼の唱歌を誘い出したかもしれない。こう考えると日本のある種・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・舞台の奥から機関車のヘッドライトが突進して来るように見えるのは、ただ光力をだんだんに強くし、ランプの前の絞りを開いて行くだけでそういう錯覚を起こさせるのではないかと思われた。 しかし、ともかくも見ただけの甲斐はあった。友人の哲学者N君に・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・ 電火の驚くべき器械的効果は、きわめて微細なる粒子が物質間の空隙を大なる速度で突進するによるとの考えは、近年のドルセーの電撃の仮説に似ている。またここのルクレチウスの記述には、今の電子を思わせるある物もある。電火によって金属の熔融するの・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・そして、その唯一つの道を勇敢に突進した彼であった。 その戦術は、彼のに帰れば、どの仲間もその方法に拠った、唯一の道であった。 が、乳色の、磨硝子の靄を通して灯を見るように、監獄の厚い壁を通して、雑音から街の地理を感得するように、彼の・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 作者の意企は、魚住を中心として、感化院の教師間の生活葛藤を描くところにあったことは明瞭なのであるが、少くとも黒須千太郎と魚住との人間的交渉がもう一歩ふみ込んで書かれていたら、最後の魚住の情熱的な雪中突進の動機も、読者の心にもっと真実性をと・・・ 宮本百合子 「作品のテーマと人生のテーマ」
・・・そして、つい半年許り前は、地球の何処の隅に其那字が在るかと云うように無智であった者まで、流行の標言を振りかざして、目的のない突進を企てるような事に成って仕舞います。其故、欧州の戦乱後、世界の呪文のようになった米国の女性に就て物を考える場合に・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ もしかしたらこの爺さんも当時の叫喚をその耳で聞き、或は自身その声をあげて突進した中の一人かも知れない。それは決して、あり得ない空想ではないのであった。 労働者住宅から八九丁のところに、起重機が突立ち工事が起されている。石油の試掘で・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・田舎の間を平滑に疾走して来た列車は、今或る感情をもって都会へ自身を揉み入れるように石崖の下や複雑な青赤のシグナルの傍を突進している。 睡っていた百姓風の大きい男は白毛糸の首巻の上で目を瞠り、瞬きをせず、膝にとりおろした黄色い風呂敷包の上・・・ 宮本百合子 「東京へ近づく一時間」
出典:青空文庫