・・・福沢先生その誣罔を弁じ、大いに論者の蒙を啓かんとて、教育論一篇を立案せられ、中上川先生これを筆記して、『時事新報』の社説に載録せられたるが、今これを重刊して一小冊子となし、学者の便覧に供すという。 明治一五年一一月編者識 ・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・何だか苦痛極って暫く病気を感じないようなのも不思議に思われたので、文章に書いて見たくなって余は口で綴る、虚子に頼んでそれを記してもろうた。筆記しおえた処へ母が来て、ソップは来て居るのぞなというた。〔『ホトトギス』第五巻第十一号 明治35・9・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・今一度博士の所説を繰り返すならば私は筆記して置きましたが、読んで見ます、その中の出来事はみな神の摂理である。総ては総てはみこころである。誠に畏き極みである。主の恵み讃うべく主のみこころは測るべからざる哉、すべてこれ摂理である。み恵みである。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・生徒はみんな大急ぎで筆記帳に黄という字を一杯書きましたがとても先生のようにうまくは出来ません。 ネネムはそっと一番うしろの席に座って、隣りの赤と白のまだらのばけもの学生に低くたずねました。「ね、この先生は何て云うんですか。」「お・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・四、フウケーボー大博士はあくびといっしょにノルデの筆記帳をすぽりとのみ込んでしまった。五、噴火を海へ向けるのはなかなか容易なことでない。 化物丁場、おかしなならの影、岩頸問答、大博士発明のめがね。六、さすがのフウケーボー大博・・・ 宮沢賢治 「ペンネンノルデはいまはいないよ 太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ」
・・・〔キッコは筆記帳をもってはねあがりました。〕そして教壇へ行ってテーブルの上の白墨をとっていまの運算を書きつけたのです。そのとき慶助は顔をまっ赤にして半分立ったまま自分の席でもじもじしていました。キッコは9の字などはどうも少しなまずのひげのよ・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
・・・実践倫理という時間があって、その時間には、大学部の生徒は皆一同講堂にあつまって、成瀬校長の講義をきき、それを片はじから筆記するのであったが、講堂にみちる絶え間ない微風のような字をかく音を超えて、熱気をふくんだ校長の声は盛んに、自由とか天才と・・・ 宮本百合子 「青春」
『近代文学』十月特輯号に平野謙氏の「労働者作家の問題」という講演筆記がのせられている。 その話の中で宮本百合子について多くの言葉が費されている。けれども、わたしへのそのふれかたの中には、わたしが迷惑し、聴衆や読者の判断が・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・そして、次第に熱中し、興にのって、講義して行かれる心理学概論を筆記する。 先生の教授ぶりは、熱があり、インテレクチュアルで、真摯なものであった。 黒板に何か書いたチョークを、両手の指先に持ち、眉間に一つ大きな黒子のある、表情の重味あ・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・それは化学のノートで、おそらく高校時代の父が筆記したのだろうと思える。試験管を焔の上で熱する図などが活々としたフリーハンドで插入されていて、計らずも今日秋日のさす埃だらけの廊下の隅でそれを開いて眺めている娘の目には、却ってその絵の描かれてい・・・ 宮本百合子 「本棚」
出典:青空文庫