・・・で、十時の算術が済んだ放課の時だ。風にもめげずに皆駆出すが、ああいう児だから、一人で、それでも遊戯さな……石盤へこう姉様の顔を描いていると、硝子戸越に……夢にも忘れない……その美しい顔を見せて、外へ出るよう目で教える……一度逢ったばかりだけ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ いつしか月も経って、忘れもせぬ六月二十二日、僕が算術の解題に苦んで考えて居ると、小使が斎藤さんおうちから電報です、と云って机の端へ置いて去った。例のスグカエレであるから、早速舎監に話をして即日帰省した。何事が起ったかと胸に動悸をは・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ しかし、鳥がそうする時分は、吉雄は、学校へいってしまって、教室にはいって、先生から、お修身や、算術を教わっているころなのでありました。 どこか、遠いところで、凧のうなる音が聞こえていました。そして、風が、すさまじく、すぎの木の頂を・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・「本屋の二階で、学校ごっこをやっていたのさ、僕は、算術が七点で、読み方が八点で、三番だ。えらいだろう。」と、正ちゃんは、いいました。「だめよ。もっと、いいお点をとらなけりゃ。」と、お姉さんは、しかってから、はっとして、いつも弟に小言・・・ 小川未明 「ねことおしるこ」
・・・ つぎは、算術の時間でした。ベルが鳴って、みんな教室にはいったときです。「僕に、りんごをおくれよ。」と、山田がいいました。「僕が、もらう約束をしたんだい。」と、小野がいいました。 政ちゃんは、二人が、ほしいというので困ってし・・・ 小川未明 「政ちゃんと赤いりんご」
・・・ 十一月の下旬だったが、Fは帰ってきて晩飯をすますとさっそくまた机に向って算術の復習にかかった。私は茶店の娘相手に晩酌の盃を嘗めていたが、今日の妻からの手紙でひどく気が滅入っていた。二女は麻疹も出たらしかった。彼女は八つになるのだが、私・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・「僕、算術が二題出来なんだ。国語は満点じゃ。」醤油屋の坊っちゃんは、あどけない声で奥さんにこんなことを云いながら、村へ通じている県道を一番先に歩いた。それにつづいて、下車客はそれぞれ自分の家へ帰りかけた。「谷元は、皆な出来た云いよっ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 夜の八時ちょっと前くらいだったでしょうか、私が上の女の子に算術を教えていたら、ほとんどもう雪だるまそっくりの恰好で、警察署長がやって来ました。 何やら、どうも、ただならぬ気配です。あがれ、と言っても、あがりません。この署長はひどく・・・ 太宰治 「嘘」
・・・けれども、算術の時間になって、私は泣いた。ちっとも、なんにも、できないのである。つるも、残念であったにちがいない。私は、そのときは、つるに間がわるくて、ことにも大袈裟に泣いたのである。私は、つるを母だと思っていた。ほんとうの母を、ああ、この・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・その部屋では、上品な洋服の、青白い顔をした十歳くらいの男の子が、だらし無く坐ってもぐもぐ菓子を食いながら、家庭教師に算術を教えてもらっていた。この料理屋の秘蔵息子なのかも知れない。家庭教師のほうは、二十七八の、白く太った、落ちついている女性・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
出典:青空文庫