・・・ 日露戦役後、度々部下の戦死者のため墓碑の篆額を書かせられたので篆書は堂に入った。本人も得意であって「篆書だけは稽古したから大分上手になった、」と自任していた。私は今人の筆蹟なぞに特別の興味を持ってるのではないが、数年前に知人の筆蹟を集・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・尤も一枚こっきりのいわゆる常上着の晴着なしであったろうが、左に右くリュウとした服装で、看板法被に篆書崩しの齊の字の付いたお抱え然たる俥を乗廻し、何処へ行っても必ず俥を待たして置いた。例えば私の下宿に一日遊んでる時でも、朝から夜る遅くまでも俥・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・そこでその定窯の鼎の台座には、友人だった李西涯が篆書で銘を書いて、鐫りつけた。李西涯の銘だけでも、今日は勿論の事、当時でも珍重したものであったろう。そういうスバらしい鼎だったのである。 ところが嘉靖年間に倭寇に荒されて、大富豪だけに孫氏・・・ 幸田露伴 「骨董」
出典:青空文庫