・・・ 遙かに、紀伊の山々が望まれた。海の上を行って、五十里はあれど百里はあるまいと思うと、学校時代に最も親しかった、たゞ一人の友のいる国の山が見えるのに、此処まで来て其の友に遇わずに帰るのが悲しくて、また、何時か来られるか分らないのにと思う・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練に朱の日の丸の陣羽織をもらった。朝鮮征伐のときには小西家の人質として、李王宮に三年押し籠められていた。小西家が滅びてから、加藤清正に千石で召し出さ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そこへは紀伊国熊野浦長島外町の漁師定右衛門と云うものが毎日魚を送ってよこす。その縁で佐兵衛は定右衛門一家と心安くなっている。然るに定右衛門の長男亀蔵は若い時江戸へ出て、音信不通になったので、二男定助一人をたよりにしている。その亀蔵が今年正月・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫