・・・成程そう云えば一つ卓子の紅茶を囲んで、多曖もない雑談を交換しながら、巻煙草をふかせている間でさえ、彼が相当な才物だと云う事はすぐに私にもわかりました。が、何も才物だからと云って、その人間に対する好悪は、勿論変る訳もありません。いや、私は何度・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ これはその側の卓子の上に、紅茶の道具を片づけている召使いの老女の言葉であった。「ああ、今夜もまた寂しいわね。」「せめて奥様が御病気でないと、心丈夫でございますけれども――」「それでも私の病気はね、ただ神経が疲れているのだっ・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・保吉は食後の紅茶を前に、ぼんやり巻煙草をふかしながら、大川の向うに人となった二十年前の幸福を夢みつづけた。…… この数篇の小品は一本の巻煙草の煙となる間に、続々と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。 二 道の・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・「ちょっと紅茶でも飲んで行くかな。」 僕等はいつか家の多い本通りの角に佇んでいた。家の多い? ――しかし砂の乾いた道には殆ど人通りは見えなかった。「K君はどうするの?」「僕はどうでも、………」 そこへ真白い犬が一匹、向う・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・彼等は一杯の紅茶を前に自動車の美的価値を論じたり、セザンヌの経済的価値を論じたりした。が、それ等にも疲れた後、中村は金口に火をつけながら、ほとんど他人の身の上のようにきょうの出来事を話し出した。「莫迦だね、俺は。」 話しを終った中村・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・ 私たちは挨拶をすませてから、しばらくは外の竹藪に降る雨の音を聞くともなく聞いていましたが、やがてまたあの召使いの御婆さんが、紅茶の道具を持ってはいって来ると、ミスラ君は葉巻の箱の蓋を開けて、「どうです。一本。」と勧めてくれました。・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・ 小さな良ちゃんは、片手に紅茶の空きかんを持ち、片手に手シャベルを握って、兄さんのお供をしたのです。「まあ、威張っているわね、にくらしい。」 窓から、小さな兄弟、二人の話をきき、出てゆく後ろ姿が見送っていたお姉さんは、いいました・・・ 小川未明 「小さな弟、良ちゃん」
・・・ふだん枕元に、スタンドや灰皿や紅茶茶碗や書物、原稿用紙などをごてごてと一杯散らかして、本箱や机や火鉢などに取りかこまれた蒲団のなかに寝る癖のある私には、そのがらんとした枕元の感じが、さびしくてならなかった。にわかに孤独が来た。 旅行鞄か・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ そう言って、パイプに紅茶をつめると、急に喋りだした。「――十人家族で、百円の現金もなくて、一家自殺をしようとしているところへ、千円分の証紙が廻ってくる。貼る金がないから、売るわけだね。百円紙幣の証紙なら三十円の旧券で買う奴もあるだ・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・砂糖代りのズルチンを入れた紅茶を持って来たのである。「夜中におなかがすいたら、水屋の中に餅がはいってますから……」勝手に焼いて食べろ、あたしは寝ますからと降りて行こうとするのを呼び停めて、「あの原稿どこにあるか知らんか。『十銭芸者』・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫