今日、文学の大衆化ということが非常に云われて来ている。かつてプロレタリア文学が、芸術の内容と表現における社会性との問題にふれて、従来の純文学と通俗文学とは質において異った階級の社会性に立つ文学として、文学の大衆性をとりあげ・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
・・・この頃の普通人はどうも小説――純文学の作品に対して興味を失っている。大衆小説は読んでも、真面目な小説は読まなくなって来ている。この対策として、作家が文学青年を目あてにして書いたような過去の「私小説」をやめ、大いに社会性のある、大衆にとっても・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ ここで注目をひくことは、プロレタリア文学運動の退潮を余儀なくした社会事情は、同時に所謂純文学の作家たちの成長してゆく条件をも貧弱化せしめたことである。 プロレタリア文学の否定することの出来ない意義の一つは、社会的現実の必然につれて・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ものであるかどうかを十分明らかにしきらないうち、社会生活と文学とは近代文学の本質であった自我を喪失し、商業主義と政論とが混交した読者としての大衆の課題をおこし、それも身にしみてはつきつめられぬままに、純文学の通俗化を伴いつつ長篇流行が生じ、・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・一方には、日本の全人口からみれば少い一部の文学好きの人々、教養の深い人々のために、純文学作品の発表・出版があり、一方では、より多くの大衆が、労働から解放されたときの気まぎらしのため、昔の庶民が寄席をたのしんだように、ごろりと寝ころがってすご・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・行動主義文学は、発生の根源に於て広義には純文学の血脈をひいたものであり、その意味で当面の文壇的利害に制せられる多くの要素を含んでいた。同時に他の一面では「ひかげの花」に文学的反撥を示したその前進的な方向がおのずから語っているようにプロレタリ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・運命が偶然に支配されるということで、考えられるのは大衆小説と純文学との相違であります。大衆小説は運命が偶ぜんに支配されるというテーマによって書かれています。それが純文学では、社会的条件のなかで、みずから人生を掴んでゆく姿が描かれる。ここでは・・・ 宮本百合子 「人生を愛しましょう」
・・・ 折から叫び出された文芸復興の声は、その手足をかがめて沈み込んだ状態に耐えられなくなりかけていたブルジョア作家たちの声を合わせて、文芸を復興させよ、特に純文学を復興せしめよと力説させた。このことは、市場としてのジャーナリズムの上をほとん・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・私小説にゆきづまり、日本文学の社会性のせまさ、弱さに、自繩自縛されたいわゆる純文学者たちは、戦争という大事件とそのヒロイズムによって、貧弱な文学の基ばんを拡げ新しくすることができるだろうと自分たちに期待したことは、幻想にすぎないことが証明さ・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 純文学的の立場からではなくその小説を一読した女性の一人として、大体の筋の紹介と、簡単な感想を述べたいと思います。 ロザリーは、英国のイボッツフィールドの教区長の末娘に生れました。 父親は、ケムブリッジ大学を卒業し、ひとから未来・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
出典:青空文庫