・・・プロレタリア文学はその創作方法において大衆を対象としているものであったし、それと対立する所謂純文学は、従来の個人主義に立っての個人の文学の主張であり、それにふさわしい創作方法として対象は自我であり自己の世界であり、私小説の伝統に立つものであ・・・ 宮本百合子 「文学精神と批判精神」
・・・石坂氏の作品は、作家としての意図では芸術的であろうとしたことで、純文学にふれつつ、作家的本質の或る通俗な持ちものでいつしか純文学が通俗作品へ大幅にすべり込むに到った日本文学の或る歴史の道を拓いている点が、今日顧みられるのである。石川氏の現在・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
・・・ 今日云われている文学の民衆化のことは、嘗て屡々くりかえされて来た純文学対大衆文学の問題ではなく、文学そのものの全体的な重点の移動がもくろまれているところに重大な歴史的意味をもっている。従って、大衆と云い、民衆と云うその目安がどこにどの・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
・・・ 小市民的な発生の歴史をもった日本の純文学というものが、その文学の世界の核心であった主観的な自我のよりどころを揺がされはじめたのは凡そ今から十五年程前からのことであった。この時期に、日本の文学には、第一次欧州大戦後の社会事情の大変動につ・・・ 宮本百合子 「平坦ならぬ道」
出典:青空文庫